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1, 哲学的ファクションと「私」

本日から始まる講座の内容について、次のようにパンフレットに記載させていただいています。  「私は誰?」。永遠の問いを胸に、「私」は古代ギリシアへの旅に出る。プラトンの学園アカデメイアに向かう途中で出会ったアリストテレスを案内人に、ソクラテス、プラトン、…そして時空を超えて登...

10,キルケゴールの「ソクラテス的助産術」、モーツァルトの「音の実存」

前回のポスト・モダンとボカロとを関連付けた話に対しても、いろいろの声を頂戴しました。「歌と踊りが言語以前のコミュニケーション手段だったと考える。ボカロは、この原始の対話が復活しているように感じる」⇒ルソーの「言語起源論」に、言葉の起源として「身振り」と「抑揚や叫び、歌うよう...

9,ポスト・モダン、ボカロ、美空ひばりと天童よしみ

「美空ひばりは語っている、天童よしみは歌っている」⇒ウーム、受講生のお一人のこの発言には降参!です。私は、一つの問いかけから刺激を受けて、意識下に潜んでいるものが表出することを「共振」と呼び、これを哲学の新しい概念として提案しています。「共鳴」や「共感」とは違って、問いかけ...

8, カール・ベームと『ドン・ジョヴァンニ』

前回は、iPhone登場は「エロスの箱を開いた」と巷でささやかれていることの意味合いについて、誰もが簡単にスマホでAV(アダルトビデオ)を見ることのできる時代になって、AV市場が急拡大している、との話や、細川家の永青文庫(文京区目白台)には性をあけすけに描いている江戸時代の...

7, エロスは「生の使者」?それとも「死の使者」?

さて私たちは、キルケゴールが提起している次のような問題意識に戻ることにしましょう。  「この研究が主として課題にしたことは、音楽的=エロス的なものの意味を明らかにし、さらにこの目的のために、すべて直接的ーエロス的であるという点で共通性を持ち、同時にすべて本質的に音楽的である...

6、原先生レクチャーコンサート

前回は、登場人物に合わせて調性を変えているモーツァルトの作曲技法について、原佳大先生の演奏を交えたドン・ジョヴァンニ話に魅了されました。  ニ長調⇒「ギラギラしたもの、嫌な人」⇒レポレロのアリア、ドン・ジョヴァンニのカンツォネッタ「さあ、窓辺においで」、イ長調⇒複雑な感情⇒...

5,エロスがモーツァルトにとりついている?

「誘惑というのは行為だから、真・善・美のうちで善に属するものですよね。それが、美につながる理由が分からない」と、お一人からまさに哲学的問いが出され、皆さんから「おー」と感嘆の声が発せられました。    真は理性の領域(『純粋理性批判』)、善は悟性の領域(『実践理性批判』)、...

4,エロスのささやきを「見よ」

前回は、「聞くことの優位」を説くキルケゴールの主張に対して、いろいろのお声を頂戴しました。「見るも聞くも、それをしているのは私という存在。その私が、それが何かを判断している」。アリストテレスが、光りを介して感覚する視覚と空気を介して感覚する聴覚を「魂」(プシュケー)が統合し...

3,見るよりも、耳で聴け! 

前回は、放蕩男「ドン・ファン」の話で盛り上がりました。源氏物語の光源氏は、まさに日本版の元祖ドン・ファンだった、「はじめ男ありけり」で始まる伊勢物語の在原業平もドン・ファンだった、先だって亡くなった相撲界の北の富士親方は「パーティーで登場するとコンパニオンの女性たちが一斉に...

2,映画の解題―無表情『ドン・ジョヴァンニ』の誘惑力

前回も、皆さんからいろいろ貴重なご意見を拝聴しました。「ドン・ジョヴァンニが他者の生の原理だというが、生きる根本の“性”にまで踏み込んで欲しい」「さまざまな演出を見ていると、モーツァルトの音楽そのものが実に多様・多彩な表現を内蔵していることを感じる」「アメリカの映画監督ジョ...

1, ドン・ジョヴァンニとは何者なのか

スペインの伝説上の人物で、数多くの女性を誘惑しては捨てる好色放蕩な「猟色家・女たらし」の代名詞になっている「ドン・ファン」(スペイン語)、フランス語では「ドン・ジュアン」そして、イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―この男を主人公とした...

9,イリソス河のほとり:モーツァルトとソクラテス

最終回は、スイスの哲学者アミエル(1821-81)の一文をもって締めと致しましょう。  死後にその日記が公開され、「心が変われば態度が変わり、態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生が変わる」「他の人を幸福にすることは、いちばん確かな幸福で...

8, モーツァルトとかけて老子と解く、その心は

いつだったか、ある女性の受講生が、彼女の属している読書会を仕切っていた物知り顔のリーダーから「あなた、何者」と怪訝な顔で問いかけられた話をしてくれたことを思い出しました。私はテキスト『論叢』(聖徳大学言語文化研究所20)冒頭で、モーツァルトについて語ろうとすることは、ソクラ...

7,モーツァルト交響曲「短調」の秘密

前回は、聴いていただいた交響曲40番ト短調について、自分の葬儀の時にはこの曲をかけて欲しい、と言う方が複数いた話が紹介されました。モーツァルトの曲のうち、短調は1割に満たず(全作品626曲中19曲=3%、交響曲45曲中2曲=4.4%)、との話もいただきました。...

 6,「こんな音楽ってないね」

「モーツァルトとの最初の出会いは、戦局が深刻になった昭和十九年(1944年)のことである。当時私は旧制の東京都立高等学校(都立大学の前身)に通っていた」と著書『モーツァルトと日本人』で書き始めた文芸評論家の井上太郎は、戦時ながら当時の自分を、芥川龍之介が言ったという「哲学者...

5,宇宙へ届け!モーツァルトへのオマージュ

前回は、「勇ましさよりもそこはかとないかなしみがある」トルコの軍隊音楽のようなオリエントの香りをモーツァルトの音楽に感じる、とのお話がありました。そう言えばモーツァルトが26歳のときに作曲したオペラ『後宮からの誘拐』は、トルコの後宮(ハレム)から恋人を連れ戻す物語で、音楽も...

4,悪魔のいたずらか神の奇蹟か

前回は、モーツァルトの音楽の「かなしみ」は、万葉集の歌人の「かなしみ」と同じである、との小林秀雄の意識に対して、感じること=直観は人それぞれに違いがあり、小林秀雄の感じ方と私達の感じ方を等しく論じることはできない、といった議論がありました。映画『アマデウス』の話や、帝国劇場...

3,モーツァルトとかけて万葉のかなしみと解く

前回は、原先生から、モーツァルトの音楽には「意表をついたハーモニーや転調」があり、「えっ、どこに行くのだろう」との「驚き」の表現があることをご教示いただき、意表をついた問いによって、相手を思いもかけない方向へと導くソクラテスの問答法を思い浮かべました。今回は、「僕の乱脈な放...

2,哲学の入り口:他者への「共振」

前回は、アリストテレスの「徳」(アレテー)まで登場する皆さんのお話に、大いに「共振」させてもらいました。メルケル政権の時代、「アーティストは、生命維持に必要不可欠な存在」と大胆なアーティスト支援策が発表されたことをご教授いただきました。...

1,音楽は、筆舌に尽くせないもの

著作「ほとんど無」で知られるフランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレビッチ(1903ー1985)は、「分類できない哲学者」とまで言われる稀有な存在です。ピアニストでもある彼は、音楽のあるべき形をソクラテスに語らせるプラトンの対話編『国家』などからの引用が多々見られる音楽を題...

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