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10、ファイナルアンサー

前回、「もう一人の私」にあげている心の無限後退について、お一人から、人間はいずれ死を迎える有限な存在だから、無限になることはあり得ない、とのご指摘をいただきました。また、お一人からは見る位置によって物事は多彩な顔を見せることを示す格言「虫の眼、鳥の眼、魚の眼」を頂戴し、考え...

9,Dasein=「いま、ここ」存在、としての私

前回の桜をテーマとした講座で、皆さんの知見と洞察に感激しました。「馬下りて 高根のさくら 見付たり」(与謝野蕪村)についてのお一人のご指摘、「馬を下りる」は視点の変換を表しており、立ち位置を変えるだけで世界の見え方がガラッと変わり、新しい発見がある、には感服しました。「さま...

8,閑話休題:ひさかたの光のどけき春の日に…

前回は、桜をテーマとして、皆さんの話で大いに盛り上がりました。前回の記法を使えば、次のようになりますね。 桜with 「(哲学講座住人)」 恥ずかしながら、春と秋に咲く2期咲きの桜=10月桜、があるなどとは、とんと知りませんでした。桜の歴史を調べると、野生種としてヤマザクラ...

7, 「気づき」とは何のことかとハイデガー

テキスト「『持つ』の形而上学-フロム、芭蕉、アリストテレス、ハイデガー、レヴィナスをつなぐ点と線」の「五、ハイデガー存在論との接続」(pp.58-63)で、環境世界としての自然がそこに出会う人々によってさまざまな名前を付けられて存在することを示したハイデガーの考察から、俳人...

6,中村草田男×アリストテレス

前回は、「フラフラ歩きで偶然の発見」を期待する私の講座のコンセプトをお話しするのに時間を割いて申し訳ありませんでした。今回は、テキスト<「持つの形而上学―フロム、芭蕉、アリストテレス、ハイデガー、レヴィナスをつなぐ点と線>に戻って、テキスト四「アリストテレス存在論との接続」...

5,考えるという重い病気

前回、アリストテレスが『形而上学』の冒頭にあげている人間の本質「知りたがり」による私たちの「知識」が、逆に「自己を束縛」する疎外状態に追い込んでいる、とのエックハルトの主張をあげました。「我思う、故に我あり」の発見によって、私たちの存在を保証するものが「思う」(デンケン=考...

4,我を忘れてひたすら走れー「平和」に向けて

フロムは、ドイツ・ドミニコ修道会の神学者マイスター・エックハルト(~1260-~1328)のことを「持つ存在様式とある存在様式との違いを、いかなる教師も凌駕しえない洞察力と明晰さをもって記述し、分析している」と始めています(フロム『生きるということ』紀伊國屋書店、p.91)...

3,疎外が生む理性の堕落

二句:春講座あれもこれもの入道雲 蟻さんよ蜜はいつも今ここに フロムは、マルクス関連の記述で、進化論のダーウィン(1809.2.12 – 1882.4.19)が陥ったある状態の説明から入っています。30歳になるまで熱中していた音楽や詩、絵画への興味をダーウィンは進化論の研究...

2,よくみればなずな花さく垣ねかな

「ある」と「持つ」の違いを、フロムは「芭蕉」の次の句を使って説明しています。 よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな 芭蕉が43歳のとき、貞享三年(1686年)に詠んだ句です。フロムは、芭蕉は「おそらくいなか道を歩いていて、垣根のそばにあるなずなに気づいてこの句を詠んだ」と鈴...

1,「To have or To be? That is the question」

私が今回の講座のテキストとして皆さまにお渡しした 「持つ」の形而上学-フロム、芭蕉、アリストテレス、ハイデガー、レヴィナスをつなぐ点と線(『聖徳大学言語文化研究所 論叢』10) で引用しているエーリッヒ・フロムの『To have or To...

令和6年度第Ⅰ期SOA講座 哲学サロンーアリストテレス・芭蕉・ハイデガーをつなぐ存在の秘密

「よく見ればなずな花さく垣ねかな」-松尾芭蕉のよく知られた俳句ですね。これがなんと、アリストテレスからハイデガーまで、さまざまな哲学者が七転八倒して考えぬいた、「存在」の秘密を解く鍵になっているとは、お釈迦様でもご存じないでしょう。ほかならぬ私「哲学の語り部」が、この問題を...

10,究極の哲学エンタ 「ソクラテスの言語将棋」

ソクラテスは、言葉を楽器のように演奏し、人々を「しびれさせる」ことを、プラトンの『饗宴』でアルキビアデスが語っていることを「8,哲学とは、言葉を楽器のように演奏することである」で紹介しました。今回は、ソクラテスがあたかも将棋を指すように、言葉によって対話相手を「善」なる状態...

9,気になる、気にする、気遣う

前回は、詩人・ねじめ正一から始まる「詩のボクシング」、会場の人々を踊り出させる「カラオケ・エンタ」、70年前の従妹との再会による「タイムスリップ・エンタ」、4,000枚のCDから新しい自己を紡ぎ出す「未来自分作りエンタ」、「宮崎アニメの網の目構造と交差する「メディア・トリッ...

8、哲学とは、言葉を楽器のように演奏することである

前回、お一人から「普段話すことのない自分のことをつい話してしまい、何かこの講座で自分をはがされている感じがします」とのお言葉をいただきました。実は、「自分はがし」は、ソクラテスのお得意技で、はがすことによって、自身を見つめ直しするきっかけを相手にあげるのです。...

7,最高のエンタは「考える」ことですか?

前回、「あなたは何者」の問いに対して、実にエンタな答えを皆さんが用意してくれました。「亭主の鑑のような人」「小役人」「サザエさん」「レースのカーテン越しに見ているような人」「いい旦那じゃないけど、いいお父さん」。最高傑作が「半径2kmの宇宙で生きる、イチジクコバチの雄より多...

6,あなたは何者なのですか

プラトンは対話編『ゴルギアス』において、高名なソフィスト・ゴルギアスに対して、ソクラテスに「あなたは何者なのか」と問わせています。この問いは「問われた人間の本質は何か」を意味しており、ゴルギアスは「人間を徳へと導く教師である」と答えています。この答えを導入口として、「徳とは...

5,『饗宴』―美とは何か

一通り参加者の話が終わると、いつもは問いかける側のソクラテスが、逆にディオティマという女性から問いかけられる形となります。ディオティマは、人々は「何を愛するのか」と問いかけ、「美しい体」「美しい心」と話を進め、永遠に変わることのない「美そのもの」を求めるのだ、と説いてゆきま...

4,知のエンタテイナー ソクラテス

さて、いよいよ今講座の主人公ソクラテスの登場です。ソクラテスと言えば「知を愛すること」、すなわち常に「哲学」(philosophy⇒philo 愛する sophia 知)している人でした。お一人がリクエストしてくれたプラトンの『饗宴』は、「知のエンタテイナー」としてのソクラ...

3,ソクラテスにつながるソフィストの「遊びごと」

前回の問い「遊びと掛けて哲学と解く」に、その心として「自分自身を忘れさせてくれる」「どちらも役にたたない」から「華道・書道などの道が両者を結ぶ」「舐めていると色が変化していく駄菓子の変わり玉を思い出す」など、実に啓発的なご意見を皆さまから頂戴しました。京都の造園家・重森三玲...

2,哲学者は道化師、旅芸人?

黒のボールペンにワクワクする方、音楽を聴いているときに絶頂感を感じている方、日常性のなかに小さな違いを見つけて高揚感を感じる方――前回も、皆さまからたくさんのお話いただきました。ミーシャ・デフォンスカの虚偽話―8歳のホロコーストの被害者を装って、映画化までされたオオカミと旅...

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