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10、「なる」の哲学:ソクラテス型人間の時代の終わり?

「即今当処自己」( 禅の言葉「今、この場所で、自分自身が、できることを精一杯やる」)「私はネットワークではないか」「夢の中の世界こそ、釈迦の言う空ではないか」など、前回も刺激的な声をたくさん頂戴しました。ありがとうございます。  ...

9, 演算子:「無」それとも「空」

前回は、「ロックンロールのロックは前後に揺れる、ゆする、ロールは、転がる、の意味。アフリカの黒人が持ち込んだダンスを伴う歌唱を、白人のエルビスプレスリーが歌ったことで当初は白人たちから大ブーイングが起きた」「グループでロックを歌ったのは、ビートルズが最初」、都知事選に立候補...

8, ロックだよ!演算子としての「私」

本日は、前回の講座の後のくつろぎランチタイムで頂戴した朝日新聞の記事「ロックじゃねえ!―僕の生き方の基準 ブレぬ強い「腹」 ゼロで無で空だよ」(2024.6.8、声×インタビュー、俳優 松重豊さん)から入ることにいたします。「ロックじゃねえ!」とは、ある小学校の先生が、ウソ...

7,分岐する私

問いかけ「心を覗くことができるのか」について、またまた皆さまから、貴重なお話を伺うことができました。「例えば誰かが何かを語ったことについて思い出したとしましょう。それは、私が心のなかで再構成したものなのではないか」「心の中はたえず揺らいでいて、これという形でまとまることがな...

6, 心の不確定性原理

「私の残したものは世界とつながっているが、私自身は切り離されている」「ガザの子どもたちの状況を見ると、戦時中の疎開先でカエルや蛇を食べて飢えをしのいだ時を思い出してしまう」。吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス、pp.91-99)に描かれている「人間は網の目...

5,私にとって世界とは何か、世界にとって私とは何か

前回のテーマ「人間とは何か」に対して、実にさまざまなお声が登場しました。「人間は魂の一つの形式に過ぎない」と宇宙人が語っているとする著書『エイリアン・インタビュー』が紹介され、NHKの番組「人体第三集」のメッセージ「私たちはすべて45億年前に誕生したたった一つの命(いのち)...

4,悪魔のいたずらか神の奇蹟か

前回は、モーツァルトの音楽の「かなしみ」は、万葉集の歌人の「かなしみ」と同じである、との小林秀雄の意識に対して、感じること=直観は人それぞれに違いがあり、小林秀雄の感じ方と私達の感じ方を等しく論じることはできない、といった議論がありました。映画『アマデウス』の話や、帝国劇場...

3,パスカルの問い:なぜ、私は、いま、ここに

前回は、「哲学とは何か」の問いから始まり、「なぜの問いを連鎖させることが哲学の本質」「哲学は問いを発酵させる営み」など、機微に触れる答えが用意されました。大森貝塚を発見したモースが「日本人にはなぜの問いがない」と語っていたことが、朝日新聞の「天声人語」(2025.5.5)で...

2,落語に登場「もう一人の私」

前回は冒頭から「哲学対話」の話に繋がり、お一人が対話ルールへの共感を表明なされました。参考までに漫画にまで登場している哲学対話の現況をお示しします。フランスの哲学者・ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の言葉「エロチシズムは死に至る生の称揚(その価値を認めてほめたたえ...

1, 哲学的ファクションと「私」

本日から始まる講座の内容について、次のようにパンフレットに記載させていただいています。  「私は誰?」。永遠の問いを胸に、「私」は古代ギリシアへの旅に出る。プラトンの学園アカデメイアに向かう途中で出会ったアリストテレスを案内人に、ソクラテス、プラトン、…そして時空を超えて登...

10,キルケゴールの「ソクラテス的助産術」、モーツァルトの「音の実存」

前回のポスト・モダンとボカロとを関連付けた話に対しても、いろいろの声を頂戴しました。「歌と踊りが言語以前のコミュニケーション手段だったと考える。ボカロは、この原始の対話が復活しているように感じる」⇒ルソーの「言語起源論」に、言葉の起源として「身振り」と「抑揚や叫び、歌うよう...

9,ポスト・モダン、ボカロ、美空ひばりと天童よしみ

「美空ひばりは語っている、天童よしみは歌っている」⇒ウーム、受講生のお一人のこの発言には降参!です。私は、一つの問いかけから刺激を受けて、意識下に潜んでいるものが表出することを「共振」と呼び、これを哲学の新しい概念として提案しています。「共鳴」や「共感」とは違って、問いかけ...

8, カール・ベームと『ドン・ジョヴァンニ』

前回は、iPhone登場は「エロスの箱を開いた」と巷でささやかれていることの意味合いについて、誰もが簡単にスマホでAV(アダルトビデオ)を見ることのできる時代になって、AV市場が急拡大している、との話や、細川家の永青文庫(文京区目白台)には性をあけすけに描いている江戸時代の...

7, エロスは「生の使者」?それとも「死の使者」?

さて私たちは、キルケゴールが提起している次のような問題意識に戻ることにしましょう。  「この研究が主として課題にしたことは、音楽的=エロス的なものの意味を明らかにし、さらにこの目的のために、すべて直接的ーエロス的であるという点で共通性を持ち、同時にすべて本質的に音楽的である...

6、原先生レクチャーコンサート

前回は、登場人物に合わせて調性を変えているモーツァルトの作曲技法について、原佳大先生の演奏を交えたドン・ジョヴァンニ話に魅了されました。  ニ長調⇒「ギラギラしたもの、嫌な人」⇒レポレロのアリア、ドン・ジョヴァンニのカンツォネッタ「さあ、窓辺においで」、イ長調⇒複雑な感情⇒...

5,エロスがモーツァルトにとりついている?

「誘惑というのは行為だから、真・善・美のうちで善に属するものですよね。それが、美につながる理由が分からない」と、お一人からまさに哲学的問いが出され、皆さんから「おー」と感嘆の声が発せられました。    真は理性の領域(『純粋理性批判』)、善は悟性の領域(『実践理性批判』)、...

4,エロスのささやきを「見よ」

前回は、「聞くことの優位」を説くキルケゴールの主張に対して、いろいろのお声を頂戴しました。「見るも聞くも、それをしているのは私という存在。その私が、それが何かを判断している」。アリストテレスが、光りを介して感覚する視覚と空気を介して感覚する聴覚を「魂」(プシュケー)が統合し...

3,見るよりも、耳で聴け! 

前回は、放蕩男「ドン・ファン」の話で盛り上がりました。源氏物語の光源氏は、まさに日本版の元祖ドン・ファンだった、「はじめ男ありけり」で始まる伊勢物語の在原業平もドン・ファンだった、先だって亡くなった相撲界の北の富士親方は「パーティーで登場するとコンパニオンの女性たちが一斉に...

2,映画の解題―無表情『ドン・ジョヴァンニ』の誘惑力

前回も、皆さんからいろいろ貴重なご意見を拝聴しました。「ドン・ジョヴァンニが他者の生の原理だというが、生きる根本の“性”にまで踏み込んで欲しい」「さまざまな演出を見ていると、モーツァルトの音楽そのものが実に多様・多彩な表現を内蔵していることを感じる」「アメリカの映画監督ジョ...

1, ドン・ジョヴァンニとは何者なのか

スペインの伝説上の人物で、数多くの女性を誘惑しては捨てる好色放蕩な「猟色家・女たらし」の代名詞になっている「ドン・ファン」(スペイン語)、フランス語では「ドン・ジュアン」そして、イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―この男を主人公とした...

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