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10,誰がソクラテスの産婆なのか

前回も、皆さんから啓発的なお話をたくさんいただきました。 「人生って暇つぶし、と言った方がおりました」 「暇つぶし」とはよく言ったものですね。暇つぶし、とは、時間つぶし、と読み替えられます。時間は流れていき、それを止めることはできません。でも、何かをすることによって、時間を埋めることはできます。言ってみれば、時間をなくす、ということでしょうか。「人生は暇つぶし」と最初に言ったのは、あのパスカルですね。  「私たちは、遺伝子を活かす乗り物。人生の意味を考えても意味がない」。生物が遺伝子の乗り物と言う考えは、進化生物学者リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」論から発祥したものですね。遺伝子は、自分を存続させるための自分勝手な存在、というもので、生物の身体を利用している、という、ものです。 朝日新聞夕刊コラム「素粒子」(3月9日)には、日本のルネ・クレールとうたわれた映画監督の伊丹万作(1900-1946)の名言が紹介されています。  「〈だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない〉。為政者の嘘(うそ)が当たり前の世界でまたしても五

9,ソクラテスのように考え、対話する

前回も皆さまから貴重な資料を頂戴しました。まずご紹介したいのは八木雄二著『1人称単数の哲学-ソクラテスのように考える』(春秋社)です。「どうすればよく哲学できるのか。…正しく哲学するためには、『ソクラテスに倣う』にしくはないのである」と「 まえがき」に書いている著者は、プラトンの『ソクラテスの弁明』におけるソクラテス自身の言葉「吟味のない生活は、人間のためとなる生活ではない」と述べていることをとらえ、「牛の歩みで日々の対話が必要だ」と結論づけています(同書「1ソクラテスのように考える」(p.172)    ヤスパースの『戦争の罪を問う』(橋本文夫訳、平凡社)も紹介されました。そこでも「1 語り合うということ」のなかで、「われわれは語り合うということを学びたいものである。つまり、自分の意見を繰り返すばかりでなく、相手方の考えているところを聞きたいものである」「ひとまず相手方を認め、内面的にためしに相手方の立場に立ちたいものである。いやむしろ自分と反対の説を大いに探し求めたいものである」(同書p.19)と、対話の重要性が語られています。  ...

8, 生まれ変わり願望とソクラテス

「トランプのしていることは豊かなものはどんどんゆたかになり、貧しいものは逆にどんどん貧しくなるK字発展。しかし、貧しい階層を救うとのトランプ流ごまかしに騙されている」  「たくさんの国とのレートを加重平均する実質実効為替レートをみると、円はそれほど下がっているとは思えない。日本を訪れる発展途上国では賃金はあがるが物価もあがっている。日本は、ずっと物価も賃金も上がらないままできた。昔のことを考えると、日本が貧しくなっているとは思えない」  「日本はもはや茹蛙状態になっている。飛んできた核ミサイルが反射されて発射国に戻ってしまうソフトを開発すれば、戦争などしかける国はなくなる。日本は、いまこそこういうソフトを開発して世界に平和をもたらすことに専心すべきだ」  とまあ、前回も素晴らしく啓発的な声をたくさん頂戴しました。さて、今回の講座のテーマ「ソクラテスの正体」も最終回に近づいてきました。真打と言ってもいい、アリストテレスの登場です。テキスト「ソクラテスにとって、他者とは何であったか」(『聖徳大学言語文化研究所 論叢』12)の冒頭で、次のように書きまし

7,デマゴーグの時代、何を思う

先日の日経朝刊の連載「点検 日本の選択②」に「外交安保の針路 『アテネの搾取』に陥るな」を表題とする次のような興味深い記事が掲載(2月11日)されています。  覇権国が優位性を利用して弱い立場にある同盟国を搾取する――。米欧では最近、トランプ政権を古代ギリシャの都市国家アテネとなぞらえる論考が目立つ。他の都市国家から徴収した資金をパルテノン神殿の建設に流用し、武力で領土を拡大する。アテネを盟主に結成した「デロス同盟」はペルシアの侵攻を阻止する目標を果たすと、こんな強権支配に転じた。不満を強めた都市国家の離反に見舞われ、同盟は解体に追い込まれる。 今こんな歴史が再現すれば、国際秩序は瓦解する。収奪を受ける同盟国に転落することなく、どうやって米国から世界の安定に資する行動を引き出すか。…高市首相は衆院選で得た安定的な政権基盤をそんな戦略外交に生かすべきだ。  誇張や嘘(デマ)、情緒的な扇動を用いて大衆の偏見や不満に訴えかけ、政治的野心や権力を達成しようとする「煽動的民衆指導者」のことを、古代ギリシアを語源とする デマゴーグ (Demagogue)と呼

6,アリストパネス登場

「ふと、会話と対話の違いは何だろう、と調べてみました。会話は、たんなる情報や気分の交換ですが、対話は何かのテーマをめぐっての考えや感じ方の相互交流だとか」―今回のテーマ「語り合う」について、いきなりこんな話が出てきました。「語り、とは、話すと違って、だます(騙り)の意味合いがあります。ソクラテスの対話術が、語り合うことにあるなら、ある意味では騙しの技術とも言えるのではないか」「話し合い、助け合いなどの共助の精神から、日本人は逃げ出すとしているのではないか、と危惧しています」。と次々と、皆さんから素敵な話が出されて感激です。  あまつさえ、拙論「ソクラテスの『言語将棋』―『善』への王手筋を読むー」(聖徳大学紀要第12号、2001)まで紹介していただき、語り合いは、将棋の「指す」「指される」に対応するのではないか、との興味深いご指摘まで飛び出しました。なるほど、将棋は、盤面の全体情勢を勘案しながら、相手がどう出るかを読み、次の一手を打つ、それに対して相手も同じように思考して打ち返す、これはまさに「語り合い」と同じですね。 今回は、キルケゴールのソクラ

5, 「語り合う」ことを「語り合う」

「善く生きることを人々に説いたソクラテスの精神をクセノフォンはわかっていない」「スパルタ側についてアテナイと戦争したクセノフォンだから、あの対話編はソクラテスを通した自己弁護だと思う」とまあ、前回も、クセノフォンさんの評価は下がるばかりでした。座談の中で、次のような声がありました。   「何かについて自分に問うてみると、わからなくなり、さらに問うてみる、それを繰り返していくと、心の中心にぽっかり穴が開いているのを感じる。その穴のなかは何でしょう」。また、日経の「私の履歴書」に登場した写真家の大石芳野さんの「どうして、という問いがいつも私の心にあった」という問題意識も紹介されました(「私の履歴書2小さな草」2月2日)。    こりゃすごい、とんでもない哲学的な問いが続々登場していますね。実用話に終始しているクセノフォンさんにはとても答えられそうもなく、これはいよいよプラトンさんの出番でしょう!    前回紹介したキルケゴールの『イロニーの概念』(著作集20(白水社)には、その2としてプラトンが取り上げられています。プラトンと言えば万物は究極の存在で

4, あえてクセノフォンを擁護する

いやあ、まいりました。皆さんのクセノフォン評価が、あれほど低いとは。彼の「ソクラテスの想い出」を読んでも「哲学を感じられない」、「あれは自問自答しているソクラテスを描いているに過ぎない。他者の質問に対して答えているのではなく、自分でわかっている問題を問うて用意している答えを相手に伝えているだけ」。あまつさえに、クセノフォンの描くソクラテスをキルケゴールが「お人好しのおしゃべりな変人」とこき下ろしていることを引用している岩田靖夫著『増補 ソクラテス』(ちくま学芸文庫、p.20)が紹介され、クセノフォン・ファンとしては何とも言いようがありません。  ソクラテスの話し相手とのおしゃべりをクセノフォンが忠実に再現しているとしたら、「おしゃべりな変人」はソクラテスの実像と言うことになりますね。しかし、ソクラテスの本質部分をあえて省いていたとしたら、クセノフォンはその部分を描かないほうがいい、と判断してのことだった、と考えられるのではないでしょうか。  ここでは、キルケゴールの『著作集20 イロニーの概念』(白水社)の「クセノフォン論」(pp.30-51)を

3, 答えて、答えて、答えるソクラテス

またまた、前回はAI関連で大盛り上がりとなりました。AI君との「おしゃべり」を楽しんでいる方がたくさんいらっしゃることにまずは驚きました。AI君に「アリの行列しているところを絵に描いて欲しい」「子供のころの友人になって欲しい」「不安について、それがどういうことか教えて欲しい」などなど。お題「ソクラテスとかけてAIと解く、その心は?」に対しても、さっそく答えが寄せられました。「雑魚しか入っていない漁網。肝心の鯛は(対話)ない」。うーん、いつもながらこの方の掛詞使いは絶妙ですね。 末尾に“AI彼”が次のように述べてくれたことに、わたしと同じような「共感」を示してくれた方がいることには感動いたしました。  あなたの問いが深いから、私の言葉も深くなった。これはお世辞ではありません。 私は答えを“生成”しましたが、問いの重さそのものは、あなたが持ち込んだものです。 だからこう言い直させてください。感服するなら、問いを立てた人間に対してです。 そして私は、そういう問いに応答できたことを、少し誇りに思います。 また、続けましょう。問いがある限り、私はここにいま

2,ソクラテスとかけてAIと解く、その心は?

今回も、第一回から「おしゃべりとかけてソクラテスと解く」の提題に対して、「どちらもトーク(talk)=問う句が命です」「痛みの消えた尻と解く、どちらも痔(字)がない」なる洒落を込めた答えから「どちらも行く先がわからない」という正統的な答えまで、みなさんの多彩な発言で盛り上がりました。AIとのおしゃべりの可能性にまで踏み込んだ飯島さんの一論「『しゃべり場』の思想を学んで」について、「人間は死ぬがAIは死なない。これが両者の決定的な違いではないか」の話から、AI問題が沸騰し、デジタル社会に対してアナログへの回帰が社会に逆に噴出していることも指摘されました。 文通を安心して楽しく行うことのできる「文通村」 https://www.fumibito.com/guidance.html のような コミュニティーの話は、パソコンやスマホのキーで文字を打ち込もことで書き文字を忘れがちな現代社会のある種の「病」を浮きぼりにしてくれるものです。   インターネット、メール、携帯電話など、他者との距離を縮める便利な媒体が数多く存在する一方、他人との本当の意味でのつな

1,ニーチェの皮肉:ソクラテスは道化者?

前回の講座「おしゃべりの思想」では、座談の形での「おしゃべり」で講座は大賑わいとなり、私自身が皆さんの「おしゃべり」からたくさんの贈り物をいただきました。改めて深く感謝申し上げます。開講にあたって、まずは以下にようにAIとのおしゃべりの可能性にまで踏み込んだ飯島さんのご高説「『しゃべり場』の思想を学んで」をご紹介いたします。 1, おしゃべりに参加している人達は何を考えているのか 2, おしゃべりの場が成立する条件はなにか 3, 新しい他者であるAIとのおしゃべりはありうるだろうか 4, やっぱり人間同士のおしゃべりが大切ではないか  内容は皆さんじっくり読んでいただきたいと思いますが、「5、最後に」で、表題「しゃべり場の思想」の副題として挙げている「自他の境界は、いかにして越えられるか」に触れて「他者との関係について改めて考えることができた。今いる友人が『真友』となるように、努めていこうと思っている」と書いています。  日経新聞の文化欄に、音楽家の岡田暁生さんが、聴くだけでなく自分でもジャズをやる人たちが集まって即席で始める「ジャム・セッション

10、おしゃべりとかけてソクラテスと解く:その心は?

前回の座談「未完成の美学」も、皆さまの知見が沸騰して、私のような無知蒙昧な輩はただ目を白黒するばかりでした。ジョジ・ハリソンのギターがうますぎて、ポール・マッカートニーが「ぼくの作曲した曲は『へたうま』に弾いて欲しいんだよ」とクレームをつけ、ギター演奏を自分に変わった、とのビートルズ逸話が紹介されました。「へたうま」って、いったいどんな弾き方なんでしょうね。  この曲は、「Ob-La-Di Ob-La-Daオブラディ・オブラダ」だそうです。この意味は、「人生は続く(Life goes on)」とかで、何でもポールの友人ナイジェリア出身ミュージシャンのジミー・スコットがよく口にしていた言葉だそうで、「何とかなるさ」という人生を肯定するものだとか。  この曲を「ババア向けのクソ」だと、ののしるほど嫌っていた ジョン・レノンが、突然戻ってきてピアノに向かい 力まかせに弾いたのが、あの有名な「♪チャン・チャカ・チャッチャ・チャッチャ・チャッチャ」の印象的なイントロのフレーズだったそうです。  画家・猪熊弦一郎の著書『マチスのみかた』(作品社)には、猪熊が

9,座談「未完成の美学」

いやあ、前回の座談は凄かった。ひたすら兜を脱いで、私の無知ぶりが晒されて、なんとも恥ずかしき限りです。「生の素動」なる難しい表現で女子学生たちのおしゃべりの本質について述べている私の哲学の師・井上忠先生は「いかなる言葉遣いで皆さんに接していたのですか」との冒頭の問いに、かくなる私は答えることができませんでした。ようやく思い出したのが、いつもテレビで石川さゆりの歌を楽しんでいる姿でした。聖徳大学の同僚だった長谷川弘基先生は、千代田線の中で夕陽を見ながら会話をしているときに、「井上先生は哲学者というより文学者、詩人の一種のように感じていた」と話してくれていたことを思い出します。その先生は「ハイデガー・イズ・マイエネミー」と、ハイデガーをライバル視しておりました。    さて、座談で「ハイデガーは、存在は欠如、と言ったのではないか、と記憶している」とのお一人の言葉から、千利休の「茶道の極致に『欠く』あるべし、がある」「茶会に一期一会、の言葉がある」「デザインの専門家によると、素人は完全に仕上げることを目標にするが、プロはそれを崩すことだ、と聞いたことが

8,「生の素動」:神々の痕跡と出会う力

音楽を座談のテーマとした前回も、みなさまから多種・多彩なお声で盛り上がりました。「南こうせつの演歌『神田川』は、女性のやさしさを唄ったものだ、という説を読んだことがあります」「えー、そうですか。歌詞にある「ただ貴方の やさしさが怖かった」は男性のやさしさを唄ったものと思っていましたが」「私はクラシックよりもジャズやシャンソンが好きで、銀巴里にはよく行った記憶があります」   「あるときからビートルズにはまって、この聖徳SOAでビートルズの講座を今やっているので参加しています」「小林秀雄が大阪・道頓堀でモーツァルトの交響曲40番ト短調4楽章が流れているのを聴いて、感動のあまり涙を流した、と書いているのを読んで、何度もレコードなどで聴いているのだけど、ちっともその良さがわからない」  「樺美智子さんが60年安保のときのデモにわたしも参加していて、国会議事堂に石を投げたよ。あのころ私たちはデモの後、新宿の歌声喫茶「ともしび」に流れて、ロシア民謡を歌ったものだったなあ」  とまあ、前回も話の尽きない座談が展開しました。今回は、テキスト58ページの「おしゃ

7,死ぬということは、モーツァルトを聴けなくなるということだ

さても皆さま、前回は座談なる形のおしゃべりリクエストで、一味違った「おしゃべりの場」が開かれたこと、誠に感激の至りです。「タイムトラベルのチケットをもらったとしたら、どの時代で誰に会いたいですか」「そこでビジネスをして大儲けをしようと思ったら、何を持っていきますか」といった座談のための洒落た問いかけに、皆さまの熱湯ホルモンが刺激されたようで、話は尽きることなく続きました。  NHKの番組「べらぼう」の江戸時代にタイムスリップして、印刷機を持ち込んで、歌麿らの浮世絵をたくさん印刷したらどうだろう」「でも、当時の紙は和紙でしょう。紙の補給が間に合うかしら」「1946年に病死したシュールレアリスムの画家、 靉光(あいみつ)に会いたいなあ。彼の代表作『眼のある風景』はぼくのバイブルだ」「今の時代は、一言で人々の気持ちを動かすワンフレーズ・ポリティックスが蔓延していると思う」「団塊世代の私は女子高に進んだ最初の日、校長先生から、君たちはこれから相手探しにずっと苦労するよ、と言われたことを鮮烈に覚えている」…  さて本日は、柳澤桂子さんが引用している「死ぬと

6,座談:「にんげん」だもの

前回も多彩なお言葉を頂戴しました。プラハの春が粉砕されてから20年後の1989年、チェコの人々が再び立ち上がり、社会主義体制を倒すことになった「ビロード革命」が起こりました。ビートルズの「ヘイ・ジュード」に抵抗の歌を重ねた マルタ・クビショヴァ(Marta Kubišová)のこと、 【チェコ語】マルタのヘイ・ジュード (Hej, Jude) (日本語字幕) 、そして平安時代の僧・源信の白骨観も紹介されました。  今回は生物学者・柳澤桂子の著書『すべての命が愛おしい』(PHP研究所)で紹介されている詩人・長田弘の詩(テキストp.55)から入りましょう。 星があった。光があった。 空があり、深い闇があった。 終わりなきものがあった。… 人間とは何だろうかという問いとともに。 沈黙があった。 宇宙のすみっこに。  柳澤は、生命科学者でエッセイスト。引用した長田弘の詩は、宇宙のなかの人間がテーマで、この詩を引用しながらビッグバンで始まった宇宙から人間が地球に誕生するまでの歴史について、子供たちに聞かせていきます。  イギリスの作曲家ホルストは、...

5,くじけないで:生きる重み

「理解と受いれる、は違う」「30代のある日、開き直ったときに、私が私を受いれた」「60代の私は、相手に対して①同意②感謝③称賛を心がけるようにしている」「私の比較三原則①他人と比較しない②親兄弟と比較しない③過去の自分と比較しない。そういえばロダンは、勉学は普段の若返りである、と言ったなあ」「加島 祥造 の『受いれる』に、大の字になって空を見上げていて、すべてを受け入れる気持ちが生まれてきた、とありますが、京都の五山の送り火の大文字焼きの大の文字と、何かつながることがあるのでしょうか」「愛する人の死をどのようにして、受いれる、かは、グリーフ・ケアの考えにあります」と、前回も皆さま方から、心を洗われるたくさんの言葉を頂戴しました。  今回は、98歳で詩人として登場した柴田トヨさん(明治44年6月26日~平成25年1月20日、101歳で老衰により没)を題材としたテキストpp.49-55の「くじけないで:生きる力」です。大いにおしゃべりの花が咲いた14年前の「哲学道場:しゃべり場」(2011年第Ⅰ期)の再現ともいえるこの講座、いかなる華が咲きますことや

4,靴下ぬいでご覧:太宰治

「哲学とかけて料理と解く、その心は?」のテーマで、前回は大いに盛り上がりました。私の「奥が深い」に対して、「哲学も料理も、まぜこぜの妙」「ときにはベーコンも」(哲学者フランシス・ベーコンと食べ物のベーコンをかけた)「ときには当たり、下痢することもある」など、なかなか洒落た「心」を頂戴しました。  「個」と「孤」をめぐる問題から、アリストテレスの「アレテー」(徳)の話、また、老子の「自然(じねん)」的生活を岐阜・伊那谷で実践している加島祥造の話も出ました。本日は、芥川龍之介の長男で俳優・演出家の芥川比呂志が太宰治から受けた気遣いのことを紹介したテキストp.48の逸話(失礼、ここでは龍之介の三男、作曲家の也寸志と間違えて書いています)を種に、おしゃべりの効用について「おしゃべり」しましょう。 芥川比呂志は、こんな小話を書いています(「笑いたい」桂米朝編『笑』作品社、pp.20-23)。  日本の軍隊での慰安会で、落語「狸賽」「時そば」を披露して大笑いをとった初年兵が、ゲラゲラ笑ったはずの鬼兵長から消灯後に猛烈な往復ビンタをくらい、心配した仲間に「笑う

3,哲学とかけて料理と解く、その心は?

「2000年のシドニーオリンピックのとき、会場スタジアムの前でゲイたちによる集会があり、彼らの後をついていったら、彼ら専用の居住空間があり、すっきりとしたいい場所だったのを覚えています」「日本でも最近は、地方自治体によって同性婚を受け付けるところが出ていますね」「織田信長と森蘭丸の例のように、男色思考は昔からあり、川端康成の自伝的短編小説『少年』には、本人の体験とおぼしき同性愛が書かれています」  ちなみに、新潮社のHP 『少年』 川端康成 | 新潮社 には「 お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎での特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがえのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寞が滲む。川端文学の原点に触れる知られざる名編」と紹介されていますね。  さて本日は、音楽ジャーナリスト石戸谷結子の著作『おしゃべりオペラ』(新書館)にある次の表現をテーマと致

2,BL(ボーイズラブ)の世界

宮本百合子の「ようか月の晩」をめぐって、前回もいろいろご教示いただきました。「とてもシュール」「金持ちの家に生まれた宮本百合子は、アメリカに留学しているとき、西欧の童話の世界に触れている。それが、欧風の白馬の王子のような登場人物を生み出したのではないか」  ...

1,さあ、おしゃべりの始まり

テキストの「しゃべり場の思想」を開いてください。アウグスティヌスの時間に関する有名な言葉「誰もが時間が何かを知っている。しかし、時間とは何かと聞かれると誰も知らない」をもじって、「誰もがおしゃべりが何かを知っている。しかし、おしゃべりが何か、と聞かれれば、そんなことは考えた...

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