top of page

10、おしゃべりとかけてソクラテスと解く:その心は?

前回の座談「未完成の美学」も、皆さまの知見が沸騰して、私のような無知蒙昧な輩はただ目を白黒するばかりでした。ジョジ・ハリソンのギターがうますぎて、ポール・マッカートニーが「ぼくの作曲した曲は『へたうま』に弾いて欲しいんだよ」とクレームをつけ、ギター演奏を自分に変わった、とのビートルズ逸話が紹介されました。「へたうま」って、いったいどんな弾き方なんでしょうね。  この曲は、「Ob-La-Di Ob-La-Daオブラディ・オブラダ」だそうです。この意味は、「人生は続く(Life goes on)」とかで、何でもポールの友人ナイジェリア出身ミュージシャンのジミー・スコットがよく口にしていた言葉だそうで、「何とかなるさ」という人生を肯定するものだとか。  この曲を「ババア向けのクソ」だと、ののしるほど嫌っていた ジョン・レノンが、突然戻ってきてピアノに向かい 力まかせに弾いたのが、あの有名な「♪チャン・チャカ・チャッチャ・チャッチャ・チャッチャ」の印象的なイントロのフレーズだったそうです。  画家・猪熊弦一郎の著書『マチスのみかた』(作品社)には、猪熊が

9,座談「未完成の美学」

いやあ、前回の座談は凄かった。ひたすら兜を脱いで、私の無知ぶりが晒されて、なんとも恥ずかしき限りです。「生の素動」なる難しい表現で女子学生たちのおしゃべりの本質について述べている私の哲学の師・井上忠先生は「いかなる言葉遣いで皆さんに接していたのですか」との冒頭の問いに、かくなる私は答えることができませんでした。ようやく思い出したのが、いつもテレビで石川さゆりの歌を楽しんでいる姿でした。聖徳大学の同僚だった長谷川弘基先生は、千代田線の中で夕陽を見ながら会話をしているときに、「井上先生は哲学者というより文学者、詩人の一種のように感じていた」と話してくれていたことを思い出します。その先生は「ハイデガー・イズ・マイエネミー」と、ハイデガーをライバル視しておりました。    さて、座談で「ハイデガーは、存在は欠如、と言ったのではないか、と記憶している」とのお一人の言葉から、千利休の「茶道の極致に『欠く』あるべし、がある」「茶会に一期一会、の言葉がある」「デザインの専門家によると、素人は完全に仕上げることを目標にするが、プロはそれを崩すことだ、と聞いたことが

8,「生の素動」:神々の痕跡と出会う力

音楽を座談のテーマとした前回も、みなさまから多種・多彩なお声で盛り上がりました。「南こうせつの演歌『神田川』は、女性のやさしさを唄ったものだ、という説を読んだことがあります」「えー、そうですか。歌詞にある「ただ貴方の やさしさが怖かった」は男性のやさしさを唄ったものと思っていましたが」「私はクラシックよりもジャズやシャンソンが好きで、銀巴里にはよく行った記憶があります」   「あるときからビートルズにはまって、この聖徳SOAでビートルズの講座を今やっているので参加しています」「小林秀雄が大阪・道頓堀でモーツァルトの交響曲40番ト短調4楽章が流れているのを聴いて、感動のあまり涙を流した、と書いているのを読んで、何度もレコードなどで聴いているのだけど、ちっともその良さがわからない」  「樺美智子さんが60年安保のときのデモにわたしも参加していて、国会議事堂に石を投げたよ。あのころ私たちはデモの後、新宿の歌声喫茶「ともしび」に流れて、ロシア民謡を歌ったものだったなあ」  とまあ、前回も話の尽きない座談が展開しました。今回は、テキスト58ページの「おしゃ

7,死ぬということは、モーツァルトを聴けなくなるということだ

さても皆さま、前回は座談なる形のおしゃべりリクエストで、一味違った「おしゃべりの場」が開かれたこと、誠に感激の至りです。「タイムトラベルのチケットをもらったとしたら、どの時代で誰に会いたいですか」「そこでビジネスをして大儲けをしようと思ったら、何を持っていきますか」といった座談のための洒落た問いかけに、皆さまの熱湯ホルモンが刺激されたようで、話は尽きることなく続きました。  NHKの番組「べらぼう」の江戸時代にタイムスリップして、印刷機を持ち込んで、歌麿らの浮世絵をたくさん印刷したらどうだろう」「でも、当時の紙は和紙でしょう。紙の補給が間に合うかしら」「1946年に病死したシュールレアリスムの画家、 靉光(あいみつ)に会いたいなあ。彼の代表作『眼のある風景』はぼくのバイブルだ」「今の時代は、一言で人々の気持ちを動かすワンフレーズ・ポリティックスが蔓延していると思う」「団塊世代の私は女子高に進んだ最初の日、校長先生から、君たちはこれから相手探しにずっと苦労するよ、と言われたことを鮮烈に覚えている」…  さて本日は、柳澤桂子さんが引用している「死ぬと

6,座談:「にんげん」だもの

前回も多彩なお言葉を頂戴しました。プラハの春が粉砕されてから20年後の1989年、チェコの人々が再び立ち上がり、社会主義体制を倒すことになった「ビロード革命」が起こりました。ビートルズの「ヘイ・ジュード」に抵抗の歌を重ねた マルタ・クビショヴァ(Marta Kubišová)のこと、 【チェコ語】マルタのヘイ・ジュード (Hej, Jude) (日本語字幕) 、そして平安時代の僧・源信の白骨観も紹介されました。  今回は生物学者・柳澤桂子の著書『すべての命が愛おしい』(PHP研究所)で紹介されている詩人・長田弘の詩(テキストp.55)から入りましょう。 星があった。光があった。 空があり、深い闇があった。 終わりなきものがあった。… 人間とは何だろうかという問いとともに。 沈黙があった。 宇宙のすみっこに。  柳澤は、生命科学者でエッセイスト。引用した長田弘の詩は、宇宙のなかの人間がテーマで、この詩を引用しながらビッグバンで始まった宇宙から人間が地球に誕生するまでの歴史について、子供たちに聞かせていきます。  イギリスの作曲家ホルストは、...

5,くじけないで:生きる重み

「理解と受いれる、は違う」「30代のある日、開き直ったときに、私が私を受いれた」「60代の私は、相手に対して①同意②感謝③称賛を心がけるようにしている」「私の比較三原則①他人と比較しない②親兄弟と比較しない③過去の自分と比較しない。そういえばロダンは、勉学は普段の若返りである、と言ったなあ」「加島 祥造 の『受いれる』に、大の字になって空を見上げていて、すべてを受け入れる気持ちが生まれてきた、とありますが、京都の五山の送り火の大文字焼きの大の文字と、何かつながることがあるのでしょうか」「愛する人の死をどのようにして、受いれる、かは、グリーフ・ケアの考えにあります」と、前回も皆さま方から、心を洗われるたくさんの言葉を頂戴しました。  今回は、98歳で詩人として登場した柴田トヨさん(明治44年6月26日~平成25年1月20日、101歳で老衰により没)を題材としたテキストpp.49-55の「くじけないで:生きる力」です。大いにおしゃべりの花が咲いた14年前の「哲学道場:しゃべり場」(2011年第Ⅰ期)の再現ともいえるこの講座、いかなる華が咲きますことや

4,靴下ぬいでご覧:太宰治

「哲学とかけて料理と解く、その心は?」のテーマで、前回は大いに盛り上がりました。私の「奥が深い」に対して、「哲学も料理も、まぜこぜの妙」「ときにはベーコンも」(哲学者フランシス・ベーコンと食べ物のベーコンをかけた)「ときには当たり、下痢することもある」など、なかなか洒落た「心」を頂戴しました。  「個」と「孤」をめぐる問題から、アリストテレスの「アレテー」(徳)の話、また、老子の「自然(じねん)」的生活を岐阜・伊那谷で実践している加島祥造の話も出ました。本日は、芥川龍之介の長男で俳優・演出家の芥川比呂志が太宰治から受けた気遣いのことを紹介したテキストp.48の逸話(失礼、ここでは龍之介の三男、作曲家の也寸志と間違えて書いています)を種に、おしゃべりの効用について「おしゃべり」しましょう。 芥川比呂志は、こんな小話を書いています(「笑いたい」桂米朝編『笑』作品社、pp.20-23)。  日本の軍隊での慰安会で、落語「狸賽」「時そば」を披露して大笑いをとった初年兵が、ゲラゲラ笑ったはずの鬼兵長から消灯後に猛烈な往復ビンタをくらい、心配した仲間に「笑う

3,哲学とかけて料理と解く、その心は?

「2000年のシドニーオリンピックのとき、会場スタジアムの前でゲイたちによる集会があり、彼らの後をついていったら、彼ら専用の居住空間があり、すっきりとしたいい場所だったのを覚えています」「日本でも最近は、地方自治体によって同性婚を受け付けるところが出ていますね」「織田信長と森蘭丸の例のように、男色思考は昔からあり、川端康成の自伝的短編小説『少年』には、本人の体験とおぼしき同性愛が書かれています」  ちなみに、新潮社のHP 『少年』 川端康成 | 新潮社 には「 お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎での特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがえのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寞が滲む。川端文学の原点に触れる知られざる名編」と紹介されていますね。  さて本日は、音楽ジャーナリスト石戸谷結子の著作『おしゃべりオペラ』(新書館)にある次の表現をテーマと致

2,BL(ボーイズラブ)の世界

宮本百合子の「ようか月の晩」をめぐって、前回もいろいろご教示いただきました。「とてもシュール」「金持ちの家に生まれた宮本百合子は、アメリカに留学しているとき、西欧の童話の世界に触れている。それが、欧風の白馬の王子のような登場人物を生み出したのではないか」  ...

1,さあ、おしゃべりの始まり

テキストの「しゃべり場の思想」を開いてください。アウグスティヌスの時間に関する有名な言葉「誰もが時間が何かを知っている。しかし、時間とは何かと聞かれると誰も知らない」をもじって、「誰もがおしゃべりが何かを知っている。しかし、おしゃべりが何か、と聞かれれば、そんなことは考えた...

10、「なる」の哲学:ソクラテス型人間の時代の終わり?

「即今当処自己」( 禅の言葉「今、この場所で、自分自身が、できることを精一杯やる」)「私はネットワークではないか」「夢の中の世界こそ、釈迦の言う空ではないか」など、前回も刺激的な声をたくさん頂戴しました。ありがとうございます。  ...

9, 演算子:「無」それとも「空」

前回は、「ロックンロールのロックは前後に揺れる、ゆする、ロールは、転がる、の意味。アフリカの黒人が持ち込んだダンスを伴う歌唱を、白人のエルビスプレスリーが歌ったことで当初は白人たちから大ブーイングが起きた」「グループでロックを歌ったのは、ビートルズが最初」、都知事選に立候補...

8, ロックだよ!演算子としての「私」

本日は、前回の講座の後のくつろぎランチタイムで頂戴した朝日新聞の記事「ロックじゃねえ!―僕の生き方の基準 ブレぬ強い「腹」 ゼロで無で空だよ」(2024.6.8、声×インタビュー、俳優 松重豊さん)から入ることにいたします。「ロックじゃねえ!」とは、ある小学校の先生が、ウソ...

7,分岐する私

問いかけ「心を覗くことができるのか」について、またまた皆さまから、貴重なお話を伺うことができました。「例えば誰かが何かを語ったことについて思い出したとしましょう。それは、私が心のなかで再構成したものなのではないか」「心の中はたえず揺らいでいて、これという形でまとまることがな...

6, 心の不確定性原理

「私の残したものは世界とつながっているが、私自身は切り離されている」「ガザの子どもたちの状況を見ると、戦時中の疎開先でカエルや蛇を食べて飢えをしのいだ時を思い出してしまう」。吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス、pp.91-99)に描かれている「人間は網の目...

5,私にとって世界とは何か、世界にとって私とは何か

前回のテーマ「人間とは何か」に対して、実にさまざまなお声が登場しました。「人間は魂の一つの形式に過ぎない」と宇宙人が語っているとする著書『エイリアン・インタビュー』が紹介され、NHKの番組「人体第三集」のメッセージ「私たちはすべて45億年前に誕生したたった一つの命(いのち)...

4,悪魔のいたずらか神の奇蹟か

前回は、モーツァルトの音楽の「かなしみ」は、万葉集の歌人の「かなしみ」と同じである、との小林秀雄の意識に対して、感じること=直観は人それぞれに違いがあり、小林秀雄の感じ方と私達の感じ方を等しく論じることはできない、といった議論がありました。映画『アマデウス』の話や、帝国劇場...

3,パスカルの問い:なぜ、私は、いま、ここに

前回は、「哲学とは何か」の問いから始まり、「なぜの問いを連鎖させることが哲学の本質」「哲学は問いを発酵させる営み」など、機微に触れる答えが用意されました。大森貝塚を発見したモースが「日本人にはなぜの問いがない」と語っていたことが、朝日新聞の「天声人語」(2025.5.5)で...

2,落語に登場「もう一人の私」

前回は冒頭から「哲学対話」の話に繋がり、お一人が対話ルールへの共感を表明なされました。参考までに漫画にまで登場している哲学対話の現況をお示しします。フランスの哲学者・ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の言葉「エロチシズムは死に至る生の称揚(その価値を認めてほめたたえ...

1, 哲学的ファクションと「私」

本日から始まる講座の内容について、次のようにパンフレットに記載させていただいています。  「私は誰?」。永遠の問いを胸に、「私」は古代ギリシアへの旅に出る。プラトンの学園アカデメイアに向かう途中で出会ったアリストテレスを案内人に、ソクラテス、プラトン、…そして時空を超えて登...

bottom of page