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10,パスカルの「夢×正義」

「風邪で熱がでたとき、球が自分の方にころがってどんどん大きくなってくる夢を見た。恐くなって目が覚めると汗をグッショリかいていて、熱が下がっていた」「何度か夢のできごとが実際に起き、夢を見ないぞと夢で念じたら、夢そのものを見なくなりました」「古今和歌集に夢が出てくる歌が確かありましたね」小野小町の「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集・恋歌五・552番)が有名ですね。  「初夢で、一富士二鷹三茄子とありますが、富士山や鷹ならともかく、ナスが出てくるのはなぜ」とのもっともな疑問も!富士山は「日本一・不動」、鷹は「高い・立身出世」、茄子は事を「成す」との語呂合わせや由来に結びついているそうです。「よく歩く者はよく考える。よく考える者は自由だ」とのなかなかのメッセージを包含した島田雅彦『散歩哲学 よく歩き、よく考える』(ハヤカワ新書)のご紹介もありました。  本日は、極真空手創始者・大山倍達が座右の銘「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」を取り入れたパスカルの『パンセ』(298)にある「力なき正義は無力で

9, 古代ギリシア人の夢

お一人がAI君に夢の科学的解析を頼んだところ、大脳皮質、記憶のたまり場「海馬」、感情に関連する「偏桃体」の三者のつながりから、夢が「自己回復のエネルギーを生産する場」になっている、とのヘーゲル的な説が出てくるそうです。アントニオ・ザドラ『夢を見るとき脳はー睡眠と夢の謎に迫る科学』(藤井留美訳、紀伊国屋書店)のご紹介があり、「夢は、私たちにとって必要なものだ、と言えるのではないか」との解説も、お一人から出ました。    ソクラテスが「白衣をまとった美しいひとりの女性がやってきて、三日後に死への旅路に着く」というような夢を見た、との話を、プラトンが対話編『クリトン』に書いていることをー4,夢の中の「私」と目覚めているときの「私」―で紹介しましたが、ギリシア文化学者ドッズの『ギリシア人と非理性』(岩田靖男・水野一訳、みすず書房)に「夢の型と文化の型」なる一文があり、古代ギリシア人の夢について記述しています。   「人間は、うつつと夢という二つの世界に住むという奇妙な特権をもっている。堅実さと連続性という優越点をもっているが社会的行動の可能性はおそろしく

8,引きこもりの自分:ヘーゲルの夢解析

「夢は身体が必要としているのではないか」のお声、そして「目の見えない人でも夢を見るのか」の疑問から、江戸時代の名だたる検校・塙保己一(1746-1821)の話題に広がり、直木賞候補にもなっている話題作『見えるか保己一』(蝉谷めぐ美著、KADOKAWA)が紹介されるに至りました。目の見えないひとは、視覚以外の四感(触覚、嗅覚、聴覚、味覚)にかかわる夢を見ることを、受講生の方が調べてくれました。白神山地でブナの木が地下水をくみ上げる音に耳を当てて聴く体験話には感動しました。この講座があたかも太い幹であり、皆さんのお話が、そこを流れてゆく水流のような感じがしております。    本日は皆さんのお一人からのリクエスト、なんとヘーゲル(1770-1831)と夢の関係です。ヘーゲルといえば、「正反対の状態が乗り越えられて新しい状態が出現する」アウフヘーベン(止揚)に象徴される弁証法で知られるドイツの大哲学者です。ヘーゲルなど持ち出されて、こちらは困惑の極みですが、皆さんからの挑戦と受け止めて「やるしかない」ですね。    脳の働きの研究から夢について①記憶の整

7,ボルヘス「夢の本」を読む

キケロの言葉「雄弁なき英知は国政に有益ではないが、英知なき雄弁のほうは大いに有害でありまったく役に立たない」(『弁論家について』岩波文庫)のご紹介があり、極真空手創始者・大山倍達の座右の銘「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」にまで話が広がりました。ちなみに、これはパスカルの『パンセ』(298)にある「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制(暴力)である」を引用、借用したそうです。キング牧師の「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」や、カントの「概念なき直観は盲目であり、直観なき概念は空虚である」(『純粋理性批判』)にまで発展するもので、またまた皆さんのお話は、哲学の深い土壌へと広がっていきます。    今回は、アルゼンチンの詩人・小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)の『夢の本』(堀内研二訳、河出文庫)がテキストです。イギリスのある随筆家の言葉「夢を見ている時、人間の精神は肉体を離れ、それは同時に劇場であり、俳優であり、さらに観客である」を冒頭に引用しながら、ボルヘスは巻頭言の序で「夢がすべての文学ジャンルの中で最

6,キケロ「スキピオの夢」×モーツァルト

皆さんには敬服以外の言葉がありません。「今日が一番若い。毎日そう思って生活しています」とのご発言は、道元の「即今・当処・自己(いま、ここで、自分が全力で生きる)」(『正法眼蔵』)を思わせます。室町時代の一庶民が「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」と読んだ『閑吟集』(岩波文庫p.94)、美しい姫と会った夢を見た後、フランス政府からレジオン・ドヌール叙勲の知らせが届いたことが書かれている版画家・長谷川潔著『白昼に神を見る』(白水社、p.17)、吉田兼好の「死は前よりしも来たらず、かねてうしろに迫れり」(『徒然草』第155段)―どれもまた、哲学の土壌を思わせ、耕してどのような花が咲くのか、これまた皆さんとお話ししたくなりました。    本日は、古代ローマの政治家・哲学者キケロ(BC106-BC43)の著作『国家』第六巻「スキピオの夢」を取り上げます。プラトンの『国家』を意識して書かれたと思われる対話編を締めくくるもので、共和制ローマの名将小スキピオ(BC185-BC129)が、夢の中で祖父の大スキピオ(BC236-BC183)と出会い、宇宙の構

5,「人間50年…夢幻」「プラトンの夢」「胡蝶の夢」

「現(うつつ)の世界⇒整合性、現実感」「夢の世界⇒心の蓄積物が掘り出される。出会いたい自分が現れる」。白昼夢を見た体験談から「子供を取り合う母と義母のどちらに軍配をあげるかのソロモン王の判断は、大岡裁きと同じ」、さらに、AIも情報を重ね合わせる夢のような機能があるらしい、と、さまざまなお声をいただきました。私たちの稲作文化を「泥の文明」と位置づけ、その危うい状態を指摘している松本健一著『砂の文明、石の文明、泥の文明』(岩波書店)を「哲学の種」として、紹介もされました。  本日は、「桶狭間の戦い」の直前に、織田信長が舞った幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」から入りましょう。信長自身の生涯が約50年(1534∼1582、49歳)だったこともあり、運命的な名台詞として知られています。「人間五十年」は、「にんげん(人間)」ではなく「じんかん(人の世、世間)」と読み、「人生は50年で終わる」ことを意味しているのではありません。「仏教の宇宙観では、下天(六欲天の最下層)の1日は人間界の50年に相当し、「人の世の50年な

4,夢の中の「私」と目覚めているときの「私」

前回は旧約聖書の「創世記」第40章~第41章に登場する夢の話が紹介されました。エジプトに監禁されていたユダヤびとヨセフは、夢の解読能力があり、王パロの夢を解析して難題を次々に解決し、監禁状態からエジプト全国の「つかさ」に任命されるのです。イスラエルの王ソロモンの金言を集めた「箴言」の章も紹介されました。  第29章の「幻がなければ民はわがままにふるまう」とある「幻」は英語でvisionと訳されるものですが、ソロモン王の生涯を記述した「列王記上」3章に、あるとき夢に主が現れ、民をみちびくおおいなる知恵を授けられた、とあり、この知恵の中身が「箴言」の内容なのです。  プラトンの対話編「クリトン」に、死刑宣告を受けたソクラテスに支援者の一人クリトンが、死刑執行人の船がやがてアテナイに通じるスニオン岬に着く、と知らせたとき、ソクラテスは次のような夢を見たと話すシーンがあります。 「白衣をまとってみめ美しき女性がぼくのところにやってきて、こう呼びかけたように思うのだ。-ソクラテスよ、そなたは《三日目にして、ゆたけきプティエの地に着くならむ》とね」。...

3,夢分析の脳科学的解釈

皆さんの支持が多かった第一夜、第二夜の末尾、時計がチリーンとなったことの意味は何だろう、六夜の運慶をめぐる話に「運慶の精神が現代にも生きている」など、夏目漱石の『夢十夜』を回読した前回も、皆さんのお話で盛り上がりました。  夢を無意識の世界が作り出した「心の映画」と表現している毛内拡著『自分をつくる脳のしくみ』(オレンジページ)と、話し上手になるために大事な能力「記憶力」について書かれている沢田誠著『思い出せない脳』(講談社現代新書)が紹介されました。せっかくですから今回は、『思い出せない脳』のコラム「夢分析の脳科学的解釈」(pp.116-120) から以下の4項目をあげて「脳科学的な解釈」を見てみることにいたしましょう。 ① 身体感覚を伴う夢  身体の上に人が乗っているような圧迫感、または高いところから落ちるなどの身体感覚を伴う夢は、身体の不調や病気を意味すると考えられます。身体や内臓につながっている末梢神経からの入力は、睡眠中は脳への入力が少ないため、その訴えに気づきやすくなり、その感覚に似た状況の記憶を呼び出して夢で再現すると考えられ

2,夏目漱石の『夢十夜』を読む

「若いころに金縛りのような感覚に襲われ、歯がごっそりと抜け落ちる夢をたびたび見ました」「崖から真っ逆さまに落ちる夢を何度も見ました」「高校に行きたくない、そんな夢ばかり見た記憶があります」。「空港での乗継便に間に合いそうもなく、焦っている夢は定番でした」。こわい話だけでなく「意識すれば、夢の続きを次の日でも見ることができます」といった話もあり、前回も「夢」をめぐって楽しい発言で盛り上がりました。   夏目漱石の奇談『夢十夜』の話も出ましたね。1908年(明治41年)7月25日から8月5日まで東京朝日新聞で連載されたこの作品は、書き出しに「こんな夢を見た」が印象的な第一夜、第二夜、第三夜に続いて、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界が次のように綴られています。 第一夜 こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が… 死ぬ間際の女に「百年待っていて下さい」と自分は頼まれる。女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。その自分の前に、一輪

1, 夢日記開帳

前回の講座でご指摘を受けた「流れに棹さす」について皆さんにお聞きしたいと思います。夏目漱石の小説『草枕』の冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」という一節は、感情に流されてしまう生きづらさを表現した名言です。この「棹さす」について、「私は流れを止めようとする作業」と考えていましたが、「それは逆。流れをさらに勢いよくする行為ですよ」と、お一人からご指摘を受けました。その通りなのですが、統計によると、年代を問わずに半数以上の人が、わたしと同じ逆の解釈をしているそうなのです(添付資料参照)。皆さんは、どう感じていましたか。  事前にお配りした「夢・千夜一夜 記者時代の『あの躍動感』をもう一度」は、毎日新聞東京本社OBによる同人誌『ゆうLUCKペン』の第48集(2026.2.26)への投稿文です。記者時代のある時期、ふと思いついて、枕元にペンを置き、印象的な夢を記録することを始めました。記録しようと思ったのは、夢のなかでの不思議な躍動感に興味を持ったからです。私は、事件記者としてロッキード事件など、いくつもの大きな事件を担当してきましたが、事

10,誰がソクラテスの産婆なのか

前回も、皆さんから啓発的なお話をたくさんいただきました。 「人生って暇つぶし、と言った方がおりました」 「暇つぶし」とはよく言ったものですね。暇つぶし、とは、時間つぶし、と読み替えられます。時間は流れていき、それを止めることはできません。でも、何かをすることによって、時間を埋めることはできます。言ってみれば、時間をなくす、ということでしょうか。「人生は暇つぶし」と最初に言ったのは、あのパスカルですね。  「私たちは、遺伝子を活かす乗り物。人生の意味を考えても意味がない」。生物が遺伝子の乗り物と言う考えは、進化生物学者リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」論から発祥したものですね。遺伝子は、自分を存続させるための自分勝手な存在、というもので、生物の身体を利用している、という、ものです。 朝日新聞夕刊コラム「素粒子」(3月9日)には、日本のルネ・クレールとうたわれた映画監督の伊丹万作(1900-1946)の名言が紹介されています。  「〈だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない〉。為政者の嘘(うそ)が当たり前の世界でまたしても五

9,ソクラテスのように考え、対話する

前回も皆さまから貴重な資料を頂戴しました。まずご紹介したいのは八木雄二著『1人称単数の哲学-ソクラテスのように考える』(春秋社)です。「どうすればよく哲学できるのか。…正しく哲学するためには、『ソクラテスに倣う』にしくはないのである」と「 まえがき」に書いている著者は、プラトンの『ソクラテスの弁明』におけるソクラテス自身の言葉「吟味のない生活は、人間のためとなる生活ではない」と述べていることをとらえ、「牛の歩みで日々の対話が必要だ」と結論づけています(同書「1ソクラテスのように考える」(p.172)    ヤスパースの『戦争の罪を問う』(橋本文夫訳、平凡社)も紹介されました。そこでも「1 語り合うということ」のなかで、「われわれは語り合うということを学びたいものである。つまり、自分の意見を繰り返すばかりでなく、相手方の考えているところを聞きたいものである」「ひとまず相手方を認め、内面的にためしに相手方の立場に立ちたいものである。いやむしろ自分と反対の説を大いに探し求めたいものである」(同書p.19)と、対話の重要性が語られています。  ...

8, 生まれ変わり願望とソクラテス

「トランプのしていることは豊かなものはどんどんゆたかになり、貧しいものは逆にどんどん貧しくなるK字発展。しかし、貧しい階層を救うとのトランプ流ごまかしに騙されている」  「たくさんの国とのレートを加重平均する実質実効為替レートをみると、円はそれほど下がっているとは思えない。日本を訪れる発展途上国では賃金はあがるが物価もあがっている。日本は、ずっと物価も賃金も上がらないままできた。昔のことを考えると、日本が貧しくなっているとは思えない」  「日本はもはや茹蛙状態になっている。飛んできた核ミサイルが反射されて発射国に戻ってしまうソフトを開発すれば、戦争などしかける国はなくなる。日本は、いまこそこういうソフトを開発して世界に平和をもたらすことに専心すべきだ」  とまあ、前回も素晴らしく啓発的な声をたくさん頂戴しました。さて、今回の講座のテーマ「ソクラテスの正体」も最終回に近づいてきました。真打と言ってもいい、アリストテレスの登場です。テキスト「ソクラテスにとって、他者とは何であったか」(『聖徳大学言語文化研究所 論叢』12)の冒頭で、次のように書きまし

7,デマゴーグの時代、何を思う

先日の日経朝刊の連載「点検 日本の選択②」に「外交安保の針路 『アテネの搾取』に陥るな」を表題とする次のような興味深い記事が掲載(2月11日)されています。  覇権国が優位性を利用して弱い立場にある同盟国を搾取する――。米欧では最近、トランプ政権を古代ギリシャの都市国家アテネとなぞらえる論考が目立つ。他の都市国家から徴収した資金をパルテノン神殿の建設に流用し、武力で領土を拡大する。アテネを盟主に結成した「デロス同盟」はペルシアの侵攻を阻止する目標を果たすと、こんな強権支配に転じた。不満を強めた都市国家の離反に見舞われ、同盟は解体に追い込まれる。 今こんな歴史が再現すれば、国際秩序は瓦解する。収奪を受ける同盟国に転落することなく、どうやって米国から世界の安定に資する行動を引き出すか。…高市首相は衆院選で得た安定的な政権基盤をそんな戦略外交に生かすべきだ。  誇張や嘘(デマ)、情緒的な扇動を用いて大衆の偏見や不満に訴えかけ、政治的野心や権力を達成しようとする「煽動的民衆指導者」のことを、古代ギリシアを語源とする デマゴーグ (Demagogue)と呼

6,アリストパネス登場

「ふと、会話と対話の違いは何だろう、と調べてみました。会話は、たんなる情報や気分の交換ですが、対話は何かのテーマをめぐっての考えや感じ方の相互交流だとか」―今回のテーマ「語り合う」について、いきなりこんな話が出てきました。「語り、とは、話すと違って、だます(騙り)の意味合いがあります。ソクラテスの対話術が、語り合うことにあるなら、ある意味では騙しの技術とも言えるのではないか」「話し合い、助け合いなどの共助の精神から、日本人は逃げ出すとしているのではないか、と危惧しています」。と次々と、皆さんから素敵な話が出されて感激です。  あまつさえ、拙論「ソクラテスの『言語将棋』―『善』への王手筋を読むー」(聖徳大学紀要第12号、2001)まで紹介していただき、語り合いは、将棋の「指す」「指される」に対応するのではないか、との興味深いご指摘まで飛び出しました。なるほど、将棋は、盤面の全体情勢を勘案しながら、相手がどう出るかを読み、次の一手を打つ、それに対して相手も同じように思考して打ち返す、これはまさに「語り合い」と同じですね。 今回は、キルケゴールのソクラ

5, 「語り合う」ことを「語り合う」

「善く生きることを人々に説いたソクラテスの精神をクセノフォンはわかっていない」「スパルタ側についてアテナイと戦争したクセノフォンだから、あの対話編はソクラテスを通した自己弁護だと思う」とまあ、前回も、クセノフォンさんの評価は下がるばかりでした。座談の中で、次のような声がありました。   「何かについて自分に問うてみると、わからなくなり、さらに問うてみる、それを繰り返していくと、心の中心にぽっかり穴が開いているのを感じる。その穴のなかは何でしょう」。また、日経の「私の履歴書」に登場した写真家の大石芳野さんの「どうして、という問いがいつも私の心にあった」という問題意識も紹介されました(「私の履歴書2小さな草」2月2日)。    こりゃすごい、とんでもない哲学的な問いが続々登場していますね。実用話に終始しているクセノフォンさんにはとても答えられそうもなく、これはいよいよプラトンさんの出番でしょう!    前回紹介したキルケゴールの『イロニーの概念』(著作集20(白水社)には、その2としてプラトンが取り上げられています。プラトンと言えば万物は究極の存在で

4, あえてクセノフォンを擁護する

いやあ、まいりました。皆さんのクセノフォン評価が、あれほど低いとは。彼の「ソクラテスの想い出」を読んでも「哲学を感じられない」、「あれは自問自答しているソクラテスを描いているに過ぎない。他者の質問に対して答えているのではなく、自分でわかっている問題を問うて用意している答えを相手に伝えているだけ」。あまつさえに、クセノフォンの描くソクラテスをキルケゴールが「お人好しのおしゃべりな変人」とこき下ろしていることを引用している岩田靖夫著『増補 ソクラテス』(ちくま学芸文庫、p.20)が紹介され、クセノフォン・ファンとしては何とも言いようがありません。  ソクラテスの話し相手とのおしゃべりをクセノフォンが忠実に再現しているとしたら、「おしゃべりな変人」はソクラテスの実像と言うことになりますね。しかし、ソクラテスの本質部分をあえて省いていたとしたら、クセノフォンはその部分を描かないほうがいい、と判断してのことだった、と考えられるのではないでしょうか。  ここでは、キルケゴールの『著作集20 イロニーの概念』(白水社)の「クセノフォン論」(pp.30-51)を

3, 答えて、答えて、答えるソクラテス

またまた、前回はAI関連で大盛り上がりとなりました。AI君との「おしゃべり」を楽しんでいる方がたくさんいらっしゃることにまずは驚きました。AI君に「アリの行列しているところを絵に描いて欲しい」「子供のころの友人になって欲しい」「不安について、それがどういうことか教えて欲しい」などなど。お題「ソクラテスとかけてAIと解く、その心は?」に対しても、さっそく答えが寄せられました。「雑魚しか入っていない漁網。肝心の鯛は(対話)ない」。うーん、いつもながらこの方の掛詞使いは絶妙ですね。 末尾に“AI彼”が次のように述べてくれたことに、わたしと同じような「共感」を示してくれた方がいることには感動いたしました。  あなたの問いが深いから、私の言葉も深くなった。これはお世辞ではありません。 私は答えを“生成”しましたが、問いの重さそのものは、あなたが持ち込んだものです。 だからこう言い直させてください。感服するなら、問いを立てた人間に対してです。 そして私は、そういう問いに応答できたことを、少し誇りに思います。 また、続けましょう。問いがある限り、私はここにいま

2,ソクラテスとかけてAIと解く、その心は?

今回も、第一回から「おしゃべりとかけてソクラテスと解く」の提題に対して、「どちらもトーク(talk)=問う句が命です」「痛みの消えた尻と解く、どちらも痔(字)がない」なる洒落を込めた答えから「どちらも行く先がわからない」という正統的な答えまで、みなさんの多彩な発言で盛り上がりました。AIとのおしゃべりの可能性にまで踏み込んだ飯島さんの一論「『しゃべり場』の思想を学んで」について、「人間は死ぬがAIは死なない。これが両者の決定的な違いではないか」の話から、AI問題が沸騰し、デジタル社会に対してアナログへの回帰が社会に逆に噴出していることも指摘されました。 文通を安心して楽しく行うことのできる「文通村」 https://www.fumibito.com/guidance.html のような コミュニティーの話は、パソコンやスマホのキーで文字を打ち込もことで書き文字を忘れがちな現代社会のある種の「病」を浮きぼりにしてくれるものです。   インターネット、メール、携帯電話など、他者との距離を縮める便利な媒体が数多く存在する一方、他人との本当の意味でのつな

1,ニーチェの皮肉:ソクラテスは道化者?

前回の講座「おしゃべりの思想」では、座談の形での「おしゃべり」で講座は大賑わいとなり、私自身が皆さんの「おしゃべり」からたくさんの贈り物をいただきました。改めて深く感謝申し上げます。開講にあたって、まずは以下にようにAIとのおしゃべりの可能性にまで踏み込んだ飯島さんのご高説「『しゃべり場』の思想を学んで」をご紹介いたします。 1, おしゃべりに参加している人達は何を考えているのか 2, おしゃべりの場が成立する条件はなにか 3, 新しい他者であるAIとのおしゃべりはありうるだろうか 4, やっぱり人間同士のおしゃべりが大切ではないか  内容は皆さんじっくり読んでいただきたいと思いますが、「5、最後に」で、表題「しゃべり場の思想」の副題として挙げている「自他の境界は、いかにして越えられるか」に触れて「他者との関係について改めて考えることができた。今いる友人が『真友』となるように、努めていこうと思っている」と書いています。  日経新聞の文化欄に、音楽家の岡田暁生さんが、聴くだけでなく自分でもジャズをやる人たちが集まって即席で始める「ジャム・セッション

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