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9, 神の肉化-イエス・キリスト

今回は、テクスト『木から落ちた神さま』の「第七章 イエス・キリスト」(pp.115-pp.126)から「キリストの復活」の意味解読へと進むことに致します。 前回は、ヤハウェ的な神が、「啓示」を受ける預言者たちによって受け継がれてきたことを書きました。しかし、啓示は特別な人た...

1, 出会いがもたらす「汝」という名の神

前回の講座「100歳からの哲学」最終回で、マルティン・ブーバー(オーストリア出身のユダヤ系哲学者。1878~1965)の神との対話に踏み込んだ『我と汝』(野口啓祐訳、講談社学術文庫)における「問いかけから始まることになると思います。お楽しみに!」で終えました。...

2, 神さまの目的とはー「ハエ取り壺」脱出作戦

前回わたしたちは、ブーバー風に言えば、「それ」と仮に名付けた「神」について、自由に発言してもらいました。 「私の田舎の富山では、代々、天神さまの掛け軸を受け継ぐ習慣がありました。天神とは、学問の神として祭り上げられている菅原道真です」「神の話というテーマで思い出すのは、宇宙...

3, 神から飛び火した『砂の女』と自由の問題

神なるものが存在するのであれば、「何のために」存在しているのか、アリストテレスの「目的因」思考によって、皆さんの神についての語りが、沸騰してきました。 「神は経済的な豊かさを保証するために存在してきたのではないでしょうか。その典型がキリスト教で、各地の地神の上に君臨して世界...

4,カントさんに聞いてみよう

前回は、安部公房の『砂の女』を題材に、二種類の自由「脱出への自由」と「留まる自由」について議論しました。富崎さんは、現代の私たちは、抜け出す勇気もなくぬるま湯に安住している「ゆで蛙」である、と「留まる自由」に漬かったまま抜け出そうとしない私たちを辛辣かつコミカルに表現してい...

5,ルターさんの前に現れた「恐ろしいもの」

私たちが語り合う「神のような存在」を「それ」と呼ぶのに対し、私たち個々の人間が「出会う」神的存在をブーバーは「汝(なんじ)」と呼んで区別しました。こうした出会い体験は、多くの聖職者たちの体験に必ず登場してきます。本日は、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483~154...

6,阿弥陀仏の悟り

万人に対して矛盾する生き方(「自由」と「従属」)を説いているように思われるルターの考え方に対して、皆さんから多種多様な声を頂戴しました。 「確か、武士道の本質として、生きることは死ぬことだ、とあった気がします。武士としては、いつでも死ぬことを覚悟した精神を示しているのではな...

7、共存の哲学「君あり、ゆえに我あり」

前回は、お一人の「虫も殺さない」というジャイナ教の話にいたく惹かれました。ジャイナ教徒の家に生まれ、ジャイナ教の修行僧を経てガンジー思想に共鳴し、バートランド・ラッセルやマーチン・ルーサー・キング牧師らを訪れるなど「思想の巡礼」を重ね、デカルトの二元論「我思う、故に我あり」...

8、イスラエルとパレスチナ「啓示の構造」

今回は、テクスト『木から落ちた神さま』に戻って、「第六章 啓示の構造」(pp.99-pp.112)をもとに、イスラエルとパレスチナ問題の本質へと踏み込みます。旧約聖書「創世記」冒頭にある「初めに神は天と地を創造された」の神は「エローヒーム」ですが、第二章の途中から「主なる神...

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