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6, 心の不確定性原理

 「私の残したものは世界とつながっているが、私自身は切り離されている」「ガザの子どもたちの状況を見ると、戦時中の疎開先でカエルや蛇を食べて飢えをしのいだ時を思い出してしまう」。吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス、pp.91-99)に描かれている「人間は網の目の法則でつながっている、とあることを思い出します」といった声が前回は出されました。果ては、AIが人類の思考を超えるシンギュラリティの存在を説いた提唱者カーツワイルの話も出て、未来の風景が変わる現実が急速に近づいている、との話題へと広がって行きました。


 7日の土曜日には、哲学対話的な心の中を表出させことによって受刑者を更生(矯正)させるプログラムを実施している島根県の刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」を舞台にした映画『プリズン・サークル』(坂上香監督)を観てきました。ひたすら過去を悔いる「私」に対して、未来を見つめる「もう一人の私」を対面の椅子に用意し、交互に座らせて自分自身と対話する方式は、実に興味深かったです。


 さて、今回は、テキスト第五章「心の不確定性原理」(pp.89-106)に入ります。シケリア島の僭主ディオニシオス二世に招かれて、持論の哲人王政治について講義をしていたプラトンから、アカデメイアに集まっていたアリストテレスらに手紙がきた、との話から始まるこの章で「私」は、近くのコロノスの丘でソフォクレスの『コロノスのオイディップス』を口ずさみ、プラトンの宇宙論・原子論とも言える『ティマイオス』で描かれた物質の最小単位としての正多面体について想いをはせ、それがやがてプラトン哲学に神髄していた物理学者ハイゼンベルグ(『部分と全体』みすず書房、pp.11-23)が見出すことになる物質の最小単位は決定不能との「不確定性原理」のことをアリストテレスに話してゆきます。


 そして話題は、シケリアからのプラトンの手紙を題材に、ラッセルの「嘘つきパラドックス」の話へと進んで行きます。僭主体制の転覆を図る若者ディオンから、「神来の偶然とも言うべき好機」との誘いを受けたプラトンはシケリアに渡りますが、ディオンは処刑され、プラトンはディオニシオス二世によって一時幽閉されながら、結果的に解放されます。『第七書簡』(中公バックス『世界の名著7』pp.432-478)は、解放された後のプラトンが、ディオンの一門と同志にあてた一連の出来事を詳細に書き込んだ長文の手紙です。

 

 プラトンを一連の事件の報告者とすれば、この手紙の内容は、現地でプラトン自身が見聞きした体験と、関係者の話から組み立てられたもので、たとえば取材記者としての「私」が書くレポートと性格的にそれほど変わらないものと考えていいと思います。


 手紙で引用されているヘラクレイデスの主張が正しいのか、プラトンの認識が正しいのか、その心の中を覗くことが出来ないどころか、関係者すべての「心」は、結局のところその正否を確認することは不可能だとするのか、私の提唱している「心の不確定性原理」です。


 心の中は、結局のところ、自分自身の心を含めて、覗くことのできない暗闇なのか、いずれは脳波の解析などによって心の中そのものは明示されるが、言語化の段階で「嘘」や「誤り」が入りこむのか、 皆さん、ご自由にご議論下さい。

 
 
 

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