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9, 演算子:「無」それとも「空」

 前回は、「ロックンロールのロックは前後に揺れる、ゆする、ロールは、転がる、の意味。アフリカの黒人が持ち込んだダンスを伴う歌唱を、白人のエルビスプレスリーが歌ったことで当初は白人たちから大ブーイングが起きた」「グループでロックを歌ったのは、ビートルズが最初」、都知事選に立候補したロック歌手・内田裕也が政見放送を「ラブ・アンド・ピース東京、ロックンロール!」で締めくくった話(1991年)まで飛び出しての「ロック」で大賑わい。さらに、「記憶は言語化されているのではないか」「ノーベル賞を輩出している京大が日本のアカデメイア」といった声に続いて、野家啓一『歴史を哲学する』(岩波書店)の次の興味深い表現をご教示いただきました。


 量子力学の観測問題になぞらえるならば、過去は…「重ね合わせ」の状態から、観測を通じて「波束の収縮」が生じることによって確定される、と言ってもよいかもしれません (同書p.163)。


 「考える」という行為は目的語を必要とする他動詞で、「考えが」何かに向かうことをフッサールは「志向性」と名づけました。私たちは記録や伝承あるいは遺物など、いわば重なり合った過去の事象に向き合い(志向)、それを「解釈」「解読」して過去を一つの「出来事=事実」として言語化し決定します。これを重なり合った波が収束して、素粒子の位置が確定する量子力学的現象に通じている、と野家は表現したのです。


 劇団の役者たちがマンションの各部屋を回り、扉を開けると演技が始まる、といった前衛的な演劇の存在の話も出ました。テキストで私は、父を殺し母と結婚してテーバイの王となった呪われた運命の古代ギリシア劇、ソフォクレスの『コロノスのオイディップス』を展開しながら(pp.151-162)、大宇宙の「無明の原理」を論じました。


 自分の娘アンティゴネと自分自身が、同じ腹から生まれた兄妹であるというおぞましい現実を知ったオイディップスは、自らの目を潰してめしいとなります。苦しみに身を裂かれるオイディップスに合唱隊(コロス)が「この世に生を受けないのが、すべてにまして、いちばんよいこと。生まれたからには、来たところ、そこへ速やかに赴くのが、つぎにいちばんよいことだ」(pp.156-157)とささやき、ゼウスの雷鳴が響き、合唱は「助けたまえ、おお神よ、助けたまえ、われらが母なるこの地に無明の闇もたらさんとならば」と叫びます(p.158)


 私たちは「無」から生まれて「無」へと還ってゆく、と私はアリストテレスに示唆(p.158)します。そしてソクラテス、は問うことによって人々の心に働きかけ、すべての価値観を無化する、いわば「無の演算子」であるとも書きました(p.164)。「問い」は多様な重なりの状態で存在するその人々の心に「波束の収縮」を起こさせ、無へと導くことを意味させたのです。しかしソクラテスは、「孤独のグルメ」の松重さんが朝日新聞のインタビューで語っている「ロックは色即是空」(前回紹介)に通じる「空」の演算子、と考えるべきではないか、と思い始めています。


 演算子ソクラテスをS、対話の相手の心をψと書けば Sψ=(空)ψ となるのではないでしょうか。皆さま、本日もご自由に、ご意見、お考えをご教示ください。

 
 
 

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