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7,分岐する私

 問いかけ「心を覗くことができるのか」について、またまた皆さまから、貴重なお話を伺うことができました。「例えば誰かが何かを語ったことについて思い出したとしましょう。それは、私が心のなかで再構成したものなのではないか」「心の中はたえず揺らいでいて、これという形でまとまることがない」「川端康成の雪国で、主人公が駒子に言いよるたびごとに、するりとかわされてしまうように、心は常に揺れ動いている。太宰治の『人間失格』は、心の暗部を浮き彫りにしている」「事実とは、心の現実なのか」「心は脳の反映なら、素粒子レベルで考えるとどうなのか」「記録ではなく記憶に残る長嶋茂雄は、人々の心に残っている。しかし、それぞれの心に残っている長嶋茂雄は同じなのか」

 

 本日は、アインシュタインも登場するテキスト第六章「分岐する私」(pp.109-125)に入ります。この回は、ミクロの量子力学の世界で良く知られている「シュレージンガーの猫」と宇宙論で展開されている「マルチバース」(多元宇宙)を組み合わせ、「私」と言う存在が時空の中の重ね合わせの波動であり、意識しているこの「私」はそのなかの一つであり、私が死んでもほかの私が生存し、次々と分岐していく世界について書き込んでいます。

 

 テキスト「宇宙の波動」(p.122)をまずご覧ください。ここでの表現、「私は突然、競技場で二頭立ての馬車でスタジアムを疾走している私自身を見る。私の隣で、アリストテレスがもう一つの馬車で疾走している。大歓声の中、私たちは最終コーナーにさしかかる…」の場面は、実は、チャールトン・ヘストン主演の話題映画「ベンハ―」での戦車競争を思い浮かべて描いたものです。そのシーンをまずはご覧願いましょう。https://www.youtube.com/watch?v=1LVp4tvl5O4


 「私」は「私たち自身、および宇宙を構成するもろもろの存在が、生と死あるいは存在と非存在の重なり合った存在」(「重なり合う生と死」p.118)であり、アリストテレスと競争している馬車と接触して危うく死にそうになったとき、「あのヒヤッとした瞬間に、自分自身生き残る私と死んでいく私とに分岐していたのではないか」と思い至り、次のように結論づけるのです(p.213)。


 私を意識の主人公とした無数の宇宙が存在し、他方で私が風景の一つに過ぎない無数の宇宙が存在するのではないか。それぞれの宇宙は、歴史と連続性をもち、波動となって重なり合い、大宇宙を構成している。私を意識体の中心に持つ宇宙は、私の死とともに波動の状態を終える。…このように私とともに、世界がすべて消える。


 しかし、私が死んでも、全く違った人生の記憶をもつ別の私が分岐していきます。こうして、無数の私を意識体としてもつ重ね合わせの状態として、宇宙は存在するのです。生と死が重ね合わせの状態にあることを示した「シュレージンガーの猫」【生きてるし死んでいる?】小学生でもわかる・シュレディンガーの猫とは何か?【科学・ざっくり解説】と宇宙論で展開されている「マルチバース」(多元宇宙)https://www.youtube.com/watch?v=EAYnh0WL7cwついて、分かりやすく解説しているユーチューブもご覧いただきましょう。

 
 
 

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