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9, 古代ギリシア人の夢

  • 6月24日
  • 読了時間: 3分

 お一人がAI君に夢の科学的解析を頼んだところ、大脳皮質、記憶のたまり場「海馬」、感情に関連する「偏桃体」の三者のつながりから、夢が「自己回復のエネルギーを生産する場」になっている、とのヘーゲル的な説が出てくるそうです。アントニオ・ザドラ『夢を見るとき脳はー睡眠と夢の謎に迫る科学』(藤井留美訳、紀伊国屋書店)のご紹介があり、「夢は、私たちにとって必要なものだ、と言えるのではないか」との解説も、お一人から出ました。

 

 ソクラテスが「白衣をまとった美しいひとりの女性がやってきて、三日後に死への旅路に着く」というような夢を見た、との話を、プラトンが対話編『クリトン』に書いていることをー4,夢の中の「私」と目覚めているときの「私」―で紹介しましたが、ギリシア文化学者ドッズの『ギリシア人と非理性』(岩田靖男・水野一訳、みすず書房)に「夢の型と文化の型」なる一文があり、古代ギリシア人の夢について記述しています。

 

「人間は、うつつと夢という二つの世界に住むという奇妙な特権をもっている。堅実さと連続性という優越点をもっているが社会的行動の可能性はおそろしく制約されている目覚めた世界に対して、夢の世界は、遠い所にいる友人や、死んだ友人、神々とさえ交わる機会をどれほど儚(はかな)くても、与えてくれるのである」(p.126)。

 

 このような前文を経て、ドッズは、古代ギリシア人たちの夢は次のような三通りに分類されていたとしています(p.132)。

①  一種の謎のようなもので、意味は解釈なしでは理解されない。

②  未来の出来事をありのまま伝える幻視。

③  両親や司祭など尊敬されている人物、時には神自身が現れ、何が起こり、何が起こらないか、何をすべきか、何をしてはならないか、を明らかにする。


 吟遊詩人ホメロス(~BC8世紀)は「夢を描写するにあたってほとんど客観的事実として扱っている」(p.129)そうで、プラトンは「夢の中で超自然的な存在者と出会うこと、占い、神託、死の床における幻視などの故に、多くの神々の多くの祭儀が設立されてきたし、これからも設立されつづけるであろう」と対話編『エピノミス』で書いています(p.134)。


 ホメロスの夢のいくつかでは「神や亡霊は、生きている友人の姿をとって、夢を見ている者に現れる」とあります(p.135)。ギリシアの学者アレクサンドロス・ポリュヒストル(~BC1世紀)は「なべて空中は、霊魂に充ち充ちており、これらの霊魂は、ダイモーンなどとして礼拝されている。人間に夢や前兆を送るのは、これらの霊にほかならないのだ」と言っているそうです(pp.137-138)。

 万物は流転している」の言葉で知られるヘラクレイトス(BC540~BC480?)は「眠っている間、我々はみな自分自身の世界に退く」と、ヘーゲルの「引きこもり」と似たようなことを言っています(p.145)。


 アリストテレスには「夢占いについて」なる興味深い一文(「自然学小論集」『アリストテレス全集6』副島民雄訳、岩波書店)があります。ただ、「夢占いがあるということを軽蔑はしない」(p.268)が、「多くは偶然の一致である」と“夢”のない結論に落ち着いています(p.270)。さて皆さん、彼らの考えを種にご自由に座談ください。

 
 
 

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