10,パスカルの「夢×正義」
- 6月30日
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「風邪で熱がでたとき、球が自分の方にころがってどんどん大きくなってくる夢を見た。恐くなって目が覚めると汗をグッショリかいていて、熱が下がっていた」「何度か夢のできごとが実際に起き、夢を見ないぞと夢で念じたら、夢そのものを見なくなりました」「古今和歌集に夢が出てくる歌が確かありましたね」小野小町の「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集・恋歌五・552番)が有名ですね。
「初夢で、一富士二鷹三茄子とありますが、富士山や鷹ならともかく、ナスが出てくるのはなぜ」とのもっともな疑問も!富士山は「日本一・不動」、鷹は「高い・立身出世」、茄子は事を「成す」との語呂合わせや由来に結びついているそうです。「よく歩く者はよく考える。よく考える者は自由だ」とのなかなかのメッセージを包含した島田雅彦『散歩哲学 よく歩き、よく考える』(ハヤカワ新書)のご紹介もありました。
本日は、極真空手創始者・大山倍達が座右の銘「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」を取り入れたパスカルの『パンセ』(298)にある「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制的である」を、現代社会に当てはめて座談したいとのリクエストに応えたいと思います。せっかくですから、パスカルの夢理論も紹介しながら、お話を進めることにいたしましょう。
「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制的である」の意味について、パスカルは続けて次のように解説しています。(『パンセ』前田陽一・由木康訳、中公文庫、p.223)
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものがただしくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。
さて、パスカルの夢に対する考え方は、次のようなものです。
「一生そのものも一つの夢に過ぎず、そこで我々を揺さぶるさまざまな考えは、夢における時間の流れや、むなしい幻と同じ幻影に過ぎないのではないだろうか」(『パンセ』434、同書p.305)
「一生の半分は眠りのなかで過ごされ、そこでは、その時にわれわれが感じることがすべて錯覚である以上、何がどう見えようとわれわれは真理の観念を一つとして持たないのである。したがって、われわれが目ざめていると考えている一生の他の半分も、最初のものと少しだけ違う他の眠りであり、そこからは、われわれが眠ると思う時に目ざめるのではないかどうかを、誰が知ろう」(同pp.304-305)
ということは、正義についてのパスカルの考えも、夢に等しい幻影なのか。私の150歳になった夢の話もやりたいし、最終回はテーマがいっぱい、皆さんの座談にお任せします!
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