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8,閑話休題:ひさかたの光のどけき春の日に…

 前回は、桜をテーマとして、皆さんの話で大いに盛り上がりました。前回の記法を使えば、次のようになりますね。


 桜with 「(哲学講座住人)」


 恥ずかしながら、春と秋に咲く2期咲きの桜=10月桜、があるなどとは、とんと知りませんでした。桜の歴史を調べると、野生種としてヤマザクラとエドヒガシがあり、枝垂桜はエドヒガシの突然変異体だと考えられているそうです。大島などに自生していたオオシマザクラが室町時代に鎌倉に渡り、京都にも持ち込まれたようです。染井吉野は、エドヒガシとオオシマザクラの種間交雑により染井村(現在の豊島区駒込)で植木職人によって誕生したらしいです。染井吉野は接ぎ木されてからわすか2年で花を咲かせるほど成長が速く(ほかの種は~10年)、日本全国に広がっていた、とされています。


 前回、古今和歌集の在原業平の和歌「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」を紹介し、桜への深い「想い」を紹介しましたが、同じ古今和歌集の「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」もよく知られていますね。土佐日記の作者として知られている紀貫之のいとこで、貫之とともに古今集の選者、そして三十六歌仙の一人である紀友則(?~905)の歌です。花はいうまでもなく桜のこと。のどかな陽の光があふれる春の一日なのに、どうしてこの桜の花びらは落ち着きもなく散っていくのだろうか、といった意味で、桜への作者の哀愁が込められています。ひさかたは、空・天の意。


 叔父さんの通夜の晩に訪れた中村草田男と受講生のお一人が懇談したその叔父・栗林農夫(たみお)著『俳句と生活』(岩波新書)をお預かりしました。和歌に象徴される万葉の貴族文学の時代に、庶民的な俳諧文学が芽吹いていた、との興味深い話が書かれております。

栗林さんは、中世和歌の特色は「現実をはなれた観念世界における美へのあこがれであり」、「もののあわれ」「余情」「幽玄」であり、「うつりゆくもの」(自然、人生)にたいする「心のなげきとしてもっともつよくあらわれる」(p.4)といいます。やがて、和歌から機智と滑稽を主題とした遊戯的連歌が民衆に流行するようになり、風刺や皮肉を含んだ俳諧へと発展し、芭蕉の登場によって庶民の生活を踏まえた俳句の誕生へとつながったのだと、栗林さんは解説しています(同~pp.47)。


 芭蕉、蕪村、一茶の桜に関する俳句をあげておきます。


「さまざまの 事思ひ出す さくらかな」(松尾芭蕉

馬下りて 高根のさくら 見付たり」(与謝野蕪村)

さくらさくらと 唄はれし老木哉」(小林一茶)

 

 芭蕉の言う、さくらから思い出す「さまざまの事」とは何でしょう。蕪村がわざわざ馬を降りたのはなぜですか。歌唱「さくらさくら」は小林一茶(1763年-1828年)の時代に、すでに人々の口に上っていたようです。「さくらさくら 弥生の空は…」の「弥生」は、陰暦3月のことで、「弥」は「いよいよ、ますます」、「生」は「生い茂る」の意味があります。

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