8, カール・ベームと『ドン・ジョヴァンニ』
- 和行 茂木
- 3月15日
- 読了時間: 3分
前回は、iPhone登場は「エロスの箱を開いた」と巷でささやかれていることの意味合いについて、誰もが簡単にスマホでAV(アダルトビデオ)を見ることのできる時代になって、AV市場が急拡大している、との話や、細川家の永青文庫(文京区目白台)には性をあけすけに描いている江戸時代の浮世絵が展示されており、若い女性がたくさん押しかけている、との話が披露されました。
さて、エロス話はいったん脇に置き、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』に話を戻しましょう。1787年10月29日、モーツァルト自身の指揮により『ドン・ジョヴァンニ』はプラハのエステート劇場で初演されました。書きかけの原稿をもってプラハにやってきたモーツァルトは、ザルツブルクでの友人のドゥシェク夫妻の別荘で仕上げを急ぎましたが、序曲だけは前夜になっても完成せず、妻のコンスタンツェとおしゃべりしながら眠気をさまし、徹夜で仕上げて翌朝写譜屋に総譜を渡し、なんとか間に合わせた、そうです。
モーツァルトは、このオペラを「ドラマ・ジョコーゾ」(悲喜劇)と呼んでいました。喜劇性を持たせた悲劇、というべきか、逆に悲劇性を持たせた喜劇、とでも言えばよいのでしょうか。レポレロに扮して窓辺の女性を誘惑するカンツォネッタ「さあ、窓辺においで」のシーンはまさに喜劇タッチ、ドン・ジョヴァンニが1003人もの女性を誘惑したことをドンナ・エルヴィーラに示していくレポレロの「カタログの歌」のシーンも、ひょうきんなレポレロの歌いぶりについ笑いたくなる箇所ですね。騎士長の亡霊が現れてドン・ジョヴァンニを地獄に連れていくシーンさえ、あたふたするレポレロが実に滑稽です。
本日は、カール・ベームが『ドン・ジョヴァンニ』初演の地チェコのプラハで、『ドン・ジョヴァンニ』を録音していく様子を皆さんに紹介します。ドン・ジョヴァンニ役のフィッシャー・ディスカウを始め歌手はすべてベームが選び「私にとって理想的」と呼んだ粒ぞろいの配役でした。そして、次のように語っています。
「モーツァルトは常に弱く優しく歌うべきだと信じる指揮者もいるが」「モーツァルト自身は主役には常にドラマチックな声の歌手を選んだ」「今回のドンナ・アンナ役もドンナ・エルヴィーラ役も、美しくドラマチックな声の持ち主で、理想的です」。また、マーラーが、主人公の地獄落ちでフィナーレをカットして終える演出を採用した点に触れ「その省略はモーツァルトの意志に反します。これは悲劇と喜劇を含むドラマ・ジョコーゾで、劇的なドラマだけでなく明るいブッフォの側面が必要なのです。主人公の破滅後の前向きな締めくくりは不可欠でしょう」「すべてを備えて生を受けたモーツァルトは私の進む道に存在する完全で永遠の音楽家です。あれほどの天才が存在し、その音楽を現在も享受できる幸福に感謝せねばなりません」とベームは語っています。
ちなみに、ベームがモーツァルトのオペラを初めて指揮したのは1938年のザルツブルク音楽祭で、演目はまさに『ドン・ジョヴァンニ』。主役は赤いスポーツカーで祝祭劇場の楽屋口に降り立つような元自転車競技選手エッチオ・ピンツァで、ベームは「不滅で最高」と評していました(カール・ベーム『回想のロンド』高辻知義訳、白水社、p.207)。
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