今回は、テクスト『木から落ちた神さま』に戻って、「第六章 啓示の構造」(pp.99-pp.112)をもとに、イスラエルとパレスチナ問題の本質へと踏み込みます。旧約聖書「創世記」冒頭にある「初めに神は天と地を創造された」の神は「エローヒーム」ですが、第二章の途中から「主なる神」の表現が出てきます。この「主」はヘブル語の「ヤハウェ」で、北方の定住イスラエル人の神々「エール」の複数形である「エローヒーム」とは出自が違います。
旧約聖書のなかでも、神話的性格を色濃く残している「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つを「モーセ五書」と呼びますが、「出エジプト記」3・14にモーセに現われた有名な啓示のシーンが登場します。「モーセよ、モーセよ」と呼ぶ声がして、エジプトで苦しんでいるイスラエルの人々を救い出すように告げます。モーセが声の主に名を問うと「エーイェ・アシュル・エーイェ」との有名な言葉を発します。
エーイェは「(わたしは)ある」の動詞「ハヤ」の一人称単数形で、この部分の意味はは「わたしはあってあるものである」と哲学問答のようですが、イスラエル人はこれを受けて「ハヤ」の古い形「ハワ」の三人称単数形の「ヤハウェ」を神の名と思うようになります。この流れからすれば、「ヤハウェ」は、イスラエルの民にとっては「外国神」だということになります。
パレスチナ地方は、古代メソポタミア文明の支配下を経て、バビロニア、そしてエジプトの支配下に入りました。ユダヤ人の祖先にあたるヘブライ人がこの地域に住んでいましたが、エジプトの支配下になるとその多くがパレスチナを離れ、エジプトで奴隷となりました。「出エジプト記」によれば、やがて彼らヘブライ人はエジプトを脱出し、紀元前11世紀ごろに「イスラエル王国」が誕生させます。チャールトン・ヘストンとユル・ブリンナー主演の映画『十戒』で、壮大な海が割れるシーンをご記憶のかたも多いかと思います。
マックス・ウェーバーは著書『古代ユダヤ教』(内田芳明訳、みすず書房)のなかで、「予言」の意義の重要性について語っています。「もしも国民の全部に知られ恐れられていたこれらのデマゴーグたちの力強い威信がなかったなら、ヤハウェはエルサレムを破壊もするが再建もする世界神なのだという思想、…が貫徹されるようなことはほとんど考えられなかったであろう。…おどろくなかれこの巨人どもの亡霊は幾千年を越えて現代のただなかにまで入りこんでいるのである」(p.514)
長い歴史を経て、パレスチナはアラブ系の人々が住むようになりました。第二次大戦後の1948年5月14日、パレスチナの地でユダヤ人によるイスラエルが建国され、アラブ系の人々はガザと西岸に住み分ける形になりましたが、この分離が現在の争乱のもとになっているのは知るところです。
次回は、神の存在は理性の力によって到達しうるとしたトマス・アクィナスの「自然神学」に対し、神の存在は「啓示」によってのみ知り得る、としたドイツの神学者カール・バルト(1886-1968)により、キリスト教の「啓示」の世界に分け入ることにいたします。
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