前回は、聴いていただいた交響曲40番ト短調について、自分の葬儀の時にはこの曲をかけて欲しい、と言う方が複数いた話が紹介されました。モーツァルトの曲のうち、短調は1割に満たず(全作品626曲中19曲=3%、交響曲45曲中2曲=4.4%)、との話もいただきました。
本日は、40番ト短調に対比される、小ト短調交響曲と呼ばれる25番k183のお話をしたいと思います。映画『アマデウス』の予告編は、この曲の第一楽章が背景音楽として使われています。船を背景にして船員風の人たちが踊っているシーンは、あのトルコの軍隊音楽メフテルを想起させるオペラ『後宮からの誘拐』の一場面です。
「少年から青年へと変身する多感な年齢のモーツァルトには、珠玉のような作品が数多くある。だが、その中で二曲の短調作品がひときわ異様な輝きを放っているのが目につくことだろう。…ニ短調の弦楽四重奏曲k173、そしてト短調の交響曲第25番k183がその所産である」と、音楽評論家・海老沢敏は書いています(海老沢敏編『モーツァルト探究』中央公論社、p.154)。このときモーツァルトはまだ17歳、1773年に3度目のイタリア旅行とウイーン滞在を終え9月の終わりごろザルツブルクに戻ってからの作品です。
アメリカの音楽学者ロビンズ・ランドンは「この雛形傑作が奇妙な孤立を呈して」おり「この《小ト短調》交響曲の根源にある精神を、モーツァルト自身他の作品の中で捉え直し、一層充実したものに仕上げるまでには、多くの歳月が必要だったからである」と書いています(「モーツァルト最初の短調交響曲《小ト短調》海老沢敏編『モーツァルト探究』p.157」。
ランドンは、モーツァルトがウイーンに滞在していたころ、文学における「シュトルムアンドドランク」(疾風怒濤)の精神が音楽界にも波及し、とくに短調の交響曲が「その音楽的側面のみならずその感情的内容においても、まったく革命的だった」と説明し、ハイドンが1768年ないし1769年に39番ト短調を作曲すると、1770年以降、ホ短調(第49番《哀悼》)、嬰ヘ短調(第45番《告別》)、ハ短調(第52番)と相次いで短調の交響曲を作曲していった、と書いています(同書p.166)。
モーツァルトの小ト短調交響曲25番k183が、ハイドンの39番ト短調交響曲と「偶然にしてはあまりに多くの共通点を持っている」と、ランドンは「この時代異例の4本のホルンを使っている」「フィナーレに一層の重要性が置かれている」ことなどをあげています(同p.169、p.174)。
そして、「モーツァルトのト短調交響曲は,1770年代のオーストリア音楽にこれまで想像されていたよりもはるかに広まっていた交響曲の一タイプであり、忘れてはならないのは、彼の芸術的衝動が、その時、頂点にまで高まっていたことである」と結論づけています(同p.177)
ゲーテの『若きウエルテルの悩み』(1774年)に象徴される「煩悶」「と「激情」によって心も身体も沸騰状態になり、思わず駆け出したくなるような「疾風怒濤」の時代が、ザルツブルクの田舎で大司教コロレドの抑圧により悶々としていたモーツァルトの精神にも波及していた、と考えるのはなかなか楽しいですね。
さて、皆さんは小ト短調交響曲から、モーツァルトのいかなる精神状態を感じますか。
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