プラトンは対話編『ゴルギアス』において、高名なソフィスト・ゴルギアスに対して、ソクラテスに「あなたは何者なのか」と問わせています。この問いは「問われた人間の本質は何か」を意味しており、ゴルギアスは「人間を徳へと導く教師である」と答えています。この答えを導入口として、「徳とは何か」が主題として展開して行くのです。
ここでは、この問いを逆に、ソクラテスに対して「あなたは何者なのか」と問いかけてみましょうか。プラトンならば「相手を真理に目覚めさせる産婆」と答えるでしょう。クセノフォンならば、「道化を装った知的遊戯者」、アリストパネスならば「雲の上から人を操る魔術師」とでも答えるかも知れません。クサンチッペなら「稼ぎもしないろくでなし」と罵倒するでしょうが、おっかけの典型のアルキビアデスは「内部に神々の像が仕掛けられたシレノス」と、『饗宴』の中で確か述べていましたね(中澤務訳、光文社文庫,p.165)。
前回は「美とは何か」のテーマで、皆さんに、感動を感じた音楽や絵画などの芸術体験について話してもらいました。岸田劉生の画論である「内なる美」について、「美は人類の内面に存在し、善の具現として存在する」が紹介されました。「古代ギリシアのアテネやキリスト教社会では、美を共有するバックグラウンドがあったが、現代では美の基準が分散している」とのご意見も頂戴しました。
2023年の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、主演の役所広司が日本人俳優としては19年ぶり2人目となる男優賞を受賞したドイツの名匠ビム・ベンダース監督の作品「パーフェクトデイズ」を見た方は、日常性の小さな揺らぎ(たとえば木洩れ陽)が美と喜びの元である、ことを発見して感動した、と明かしてくれました。シンガーソングライター・ラッドウィンプスの音楽「正解」で、人生の正解を探しに行こうと呼びかける歌詞の「制限時間はあなたのこれからの人生。解答用紙はあなたのこれからの人生」に打たれた、と話してくれる方もおりました。
今日の皆さんへのお題は、「あなたは何者なのか」「私っていったい何者?」と致します。アリストテレスは「存在するもの」は、「どこにあるのか」(場所)「いつあるのか」(時間)「何をしているのか」(能動)など「十のカテゴリー」で記述できるとしました。その最初にあげられているのが「何であるか」(本質)で、ソクラテスがゴルギアスに問いかけた「あなたは何者なのか」に通じるものです。もし宇宙人から、このような問いをかけられたら、私たちは「人間である」と答えるのではないでしょうか。
日常性の現場で、このような問いをかけられたら、皆さんはどのように答えるかとても興味があります。この講座で以前、主婦の人たちが集まっての読書会で、ある方がある本について持論を述べたところ、もの知り顔でリーダー的な存在の女性が「あなた何者なの」と怪訝な顔をされた体験談を、お一人の女性が紹介してくれたことがありました。そのリーダー的な方は、ただのご近所主婦と思っていた一人から驚くような知見を出されて、戸惑って気まずい思いをしたようなのです。
「あなたはいったい何者」と言われたことのある方、「私は何者なのだろう」と考えたことのある方、はその体験談を、なければ、どう答えるだろう、とお考えください。
Comments