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6、原先生レクチャーコンサート

 前回は、登場人物に合わせて調性を変えているモーツァルトの作曲技法について、原佳大先生の演奏を交えたドン・ジョヴァンニ話に魅了されました。


 ニ長調⇒「ギラギラしたもの、嫌な人」⇒レポレロのアリア、ドン・ジョヴァンニのカンツォネッタ「さあ、窓辺においで」、イ長調⇒複雑な感情⇒ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱、変ロ長調⇒身分の高い人⇒ドン・ジョヴァンニのアリア「君らの半分はあっちに行け」オッターヴィオのアリア「彼女の心の安らぎこそが」、ハ長調⇒(哀しみを込めた)純粋さ、素朴さ⇒ツェルリーナのアリア「ぶって、ぶって」「薬屋の歌」。ニ短調⇒ドラマチック、死の予感、怒り、深い悲しみ⇒序曲、地獄落ちのシーン、ト長調⇒大衆、喜び⇒フィナーレ。ドンナ・エルヴィラは、ドン・ジョヴァンニへの思いが揺れるように、くるくると調性が変わります。


 ウイーンでの公演で、地獄に落ちるドン・ジョヴァンニを乗せたエレベーターが途中で止まってしまい、会場から「ざまあみろ、地獄は一杯なんだ」とヤジが飛んだ話や、公演でけが人が出たことがきっかけで、その後お祓いをするのが習慣になった、といった楽しい逸話を紹介されました。ショパンと親交のあった画家のドラクロワがドン・ジョヴァンニのどの曲でも歌えるほどモーツァルト好きだった、との話も実に興味深かったです。序曲までピアノで演奏してくれた原先生!素晴らしい演奏付講演、ありがとうございました。


 さて、本日はドン・ジョヴァンニの台本を書いたダ・ポンテの回想を紹介しましょう。ウイーンで尊敬に値する作曲家としてモーツァルトをあげているダ・ポンテは、ボーマルシュの『フィガロの結婚』のオペラ化の相談を受け、台詞を書くそばからモーツァルトが音楽をつけて6週間で完成させます。

 フィガロを演じることを禁止していたヨーゼフ2世は、「モーツァルトはまだ一つのオペラしか書いていないではないか」と難色を示しますが、曲を聴いてすっかり気に入り、上演に至ります。『ドン・ジョヴァンニ』を見た皇帝は「このオペラは、すばらしい。おそらく『フィガロ』以上に美しいだろう。しかし、わがウイーン人の口には合うものではない」と言ったそうです。

 これに対してのモーツァルトの反応はなかなかイキです。「口に合うまで噛んでもらおう」。ダ・ポンテは続けます。「彼は間違っていませんでした。成功は上演ごとに高まりました。そして次第にウイーンの連中も悪い歯でその風味を味わい、美を感じ始めました。そしてついには『ドン・ジョヴァンニ』が、かつて劇場で上演された最も美しいオペラであると認めるようになりました」

(吉田秀和・高橋英郎編『モーツァルト頌』白水社、pp.43-45)。


 ドラクロワは、「ごてごて作品」を喜ぶ聴衆に疑問を抱き、「簡素を愛する非凡な精神」モーツァルトの「美」の必要性をとなえています(同書p.147)。


 ところで、安土桃山時代から江戸時代の初期に京都の所司代を務めた板倉重宗(1586-1657)が目の前に灯り障子を置き、当事者の顔を見ないようにして裁判した話を、大審院判事を務めた三宅正太郎(明治20年~昭和24年)が範にしたことを著書の『裁判の書』(慧文社)に書いています(「裁判官の気持ち」p.37)。キルケゴールの「見ないで聴け」の精神に通じますね。

 
 
 

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