前回は、「勇ましさよりもそこはかとないかなしみがある」トルコの軍隊音楽のようなオリエントの香りをモーツァルトの音楽に感じる、とのお話がありました。そう言えばモーツァルトが26歳のときに作曲したオペラ『後宮からの誘拐』は、トルコの後宮(ハレム)から恋人を連れ戻す物語で、音楽もこの軍隊音楽の調べを感じさせますね。悪いことを制止するソクラテスのデーモンとは違って、モーツァルトにとりついたデーモンは彼をひたすら働かせて過労死させたのではないか、との面白い考えや、死にゆく人も耳だけは最後まで聞こえている、との興味深い話も飛び出しました。。
本日は、モーツァルト五歳のときの作品「ピアノ・ソナタK1」に小林秀雄と同じような「かなしみ」を感じたドイツ文学者の小塩節(おしおたかし)のお話です。小学校4年の時に伯母がこのK1をピアノの練習用に小塩に与えたのですが、厳しい指導に辟易して中学受験を口実にピアノをやめてしまいます。しかし、ある日の夕方、小塩は、祖父の家の書斎から漏れてくるピアノの音に衝撃を覚えます。
「一種のかなしみを秘めた、明るくなめらかな曲だ。モーツァルトだと、悪童の私にもすぐわかった。私の足は金しばりになったように動かなくなり、鋭い痛みのようなものが、胸から全身に走りまわった。妹のために伯母が手本に弾いてみせているにちがいないモーツァルトの静かで洗練されたピアノの流れは、私の全身をいいようもなく苦しいかなしみで満たした。モーツァルトほど清澄で、弾きやすく、実はその純粋さのためにこれほど難しい曲はないのだ。」(小塩節『モーツァルトへの旅』光文社、pp.227-228)
後悔しながらも、結局ピアノから離れた小塩ですが、長じてヨーロッパに留学し、ザルツブルクでベーム指揮の『魔笛』を何度も聴く機会がありました。あるとき、「女の子か女房が欲しいよう」と訴えるパパゲーノの「パパパの歌」を聴いていて、「心底震え」ます。なんとそれは、小学4年の時に練習を投げ出したモーツァルト五歳のときのピアノ・ソナタK1の「アレグロの調べ」であることに気づいたからなのです(同書p.229)。
ピアノ・ソナタK1は、父・レオポルトの作曲指導の下に、六歳のころまでに作った作品で、何度も手を入れてa~fまであります。小塩が驚いた『魔笛』のパパゲーノのアリア冒頭の調べがあるのは、12月11日作曲と日付のあるKcヘ長調で、弱拍から始まる「アウフタクト(Auftact)」という高度な作曲技術がすでに使われているのです。
パパゲーナとの二重唱「パパパの歌」は、独りぼっちで寂しい思いをしている鳥刺しのパパゲーノが、老婆姿から若い女性に戻ったパパゲーナに「子どもをたくさん作ろうよ」「そうねたくさん作りましょう」と実に楽し気に二人で歌うシーンです。特定非営利活動法人「オペラ彩」の舞台をご覧いただきましょう。
「モーツァルトへの小さなオマージュ」と賛意を示す「あとがき」で小塩は、地球環境を破壊し、互いをほろぼし合いかねない時代状況を嘆きながら、「天と地に響くモーツァルトの音楽を次世代だけでなく」いかなる生物にも伝えることを「心から希望する」と書いています(同pp.230-231)。皆さんは、どのようなオマージュをモーツァルトに捧げますか。
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