私たちが語り合う「神のような存在」を「それ」と呼ぶのに対し、私たち個々の人間が「出会う」神的存在をブーバーは「汝(なんじ)」と呼んで区別しました。こうした出会い体験は、多くの聖職者たちの体験に必ず登場してきます。本日は、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546)の出会った「恐ろしいもの」について、がテーマです。
(茂木和行『木から落ちた神さま』(pp.138-139)
1505年7月2日のことでした。22歳の学生だったルターは、大学に近い大通りを歩いているとき、突然激しい夕立に襲われ、近くに落ちた雷に打たれて重傷を負います。このときルターは、「天からの恐怖」と述懐する恐ろしい体験をし、「聖女アンナが現れて修道者になれ」と告げられた、と言うのです。その二週間後に、彼は本当に修道院に入り、両親や友人を驚愕させるのです。
修道院での生活をしながら、ローマ教皇を中心としたカトリックは、神の名のもとに信仰をゆがめ、人々を搾取している、とルターは考えるようになります。そして、やがてカトリックに支配されていたキリスト教界に、プロテスタントと呼ばれる新しい流れが生み出されていくのです。教会の腐敗を弾劾し、聖書の教えに忠実な改革を唱えるルターの考えに共鳴した人々が、1529年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書」(Protestatio, プロテスタティオ)を送りました。文字通り「プロテスト」(抗議する)する者、の意味をもつこの言葉から、プロテスタントの名がついたのです。
ルターは、性欲などの欲を悪とする見方を転換し、キリスト教に帰依する者にも妻帯を許す改革を訴え、自らも元修道女と結婚して三男三女をもうけています。
1521年、ルターは帝国議会に召喚され、宗教改革を唱える彼のたくさんの著作を前にその内容撤回を迫られましたが、次の有名な言葉を残しています。
「私の良心は神の言葉に捕らえられています。両親に逆らって行動することは、確実でもなく正しくもありませんから、私は何ごとも取り消すことはできませんし、また欲しもしません」
(「ルターの思想と生涯」松田智雄責任編集『世界の名著』23、p.31)。
ルターの考えで、きわめて注目すべきなのは、その前年に出版された著作の冒頭で示されたキリスト教に帰依する者(キリスト者)の「二つの矛盾する原則」です(ルター「キリスト者の自由」松田智雄責任編集『世界の名著』23、p.52)。
「すべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない」
「すべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、だれにも従属している」
この「自由な主人」であり「僕(しもべ)」である私たちは、「いっさいを知り、予知しておられ、誤ることも、あざむかれることもありえない」「全能の神によって必然性によって造られたのだと言う、避くべからざる帰結を容認せざるをえない」存在であると、ルターは断じているのです(ルター「奴隷的意志」『世界の名著』pp.225~226)。
第三回の「自由の問題」とつながるこのルターの考え、さて、皆さん、何を感じ、どのように思いますか。
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