さて、いよいよ今講座の主人公ソクラテスの登場です。ソクラテスと言えば「知を愛すること」、すなわち常に「哲学」(philosophy⇒philo 愛する sophia 知)している人でした。お一人がリクエストしてくれたプラトンの『饗宴』は、「知のエンタテイナー」としてのソクラテスを感じてもらえる作品です。『饗宴』の原語シンポジオンはシンポジウムの語源ですが、古代ギリシアの自由人たちが、知的な会話を楽しむ酒席の場でした。饗宴の「饗」は「酒食を設けてもてなすこと、また、その酒食。もてなし」(広辞苑)を意味し、この訳語はシンポジオンの雰囲気を的確に表す名訳だと思います。
前回ご紹介したブレヒトの「怪我をしたソクラテス」は、『饗宴』の最後の場面、アルキビアデスのソクラテス賛辞(デリオンにおけるソクラテスの勇猛さ)をパロディにしたものですし、フィリップ・マティザック『古代ギリシア人の24時間』(高畠純夫監訳、河出書房新社)にも、「夜の第六講」は『饗宴』を基にして創作の手を加えたものです(PP.222-230)。私のテキスト「哲学はエンタテイメントになり得るか」でも、メインテーマの一つとしてpp.85-86で紹介しています。
『饗宴』の登場人物は、我がソクラテスのほかに、アルキビアデスや、喜劇詩人アリストパネス、宴会の場を提供しているアガトン、そして、プラトンの作品では珍しい想像の人物ディオティマ、などなど10人。ソクラテスの追っかけの一人から、アガトン邸での宴会のことを聞いた話し手が、その様子を再現していく筋立てになっています。
宴会に招待されているソクラテスがアガトン邸の近くで、じっと立ち尽くして、何かを考え始め、中に入ろうとしないので、宴会は先に始まります。やがて、ソクラテスがやって来ると、アガトンは、「あなたはきっと知(ソフィア)について考えていたのですね。是非、その話を聞かせてください」とせがみます。ソクラテスの立ち尽くしは有名で、この再現話でも、デリオンでの戦闘の最中に歩哨にたったソクラテスが、夜明けまでじっと立ち尽くして何かを考えていたことがアルキビアデスによって語られています。
ソクラテスが来たところで、酒席の場はいよいよ知的な会話の場へと発展して行きます。医者のエリュクシマコスが、「多くの神々が詩人によって歌われている中で、古い神にもかかわらず、歌われることのないエロス神について、皆さん一人一人がその思う所を語り合うことにしませんか」と提案し、賛同を得ます。
ギリシア神話の神々の系統を著したヘシオドス(~BC700年、吟遊詩人)の『神統記』によれば、愛の神のエロスは、カオスやガイア、タルタロスと同じく、世界の始まりから存在した原初神とされています。このエロスについて、パイドロス、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストパネス、アガトン、そして最後にソクラテスが語ることになりますが、アリストパネスの「異性愛と同性愛誕生の逸話」について、簡単に触れておきます。
かつて人間は、男性と男性、男性と女性、女性と女性が合わさった球形をしていましたが、ゼウスがそれを二つに分け、それぞれの半身が、片割れを恋しがって求めるようになりました。エロスはその恋の力、という説です。信じるか信じないかは、あなた次第です。
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