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4,エロスのささやきを「見よ」

 前回は、「聞くことの優位」を説くキルケゴールの主張に対して、いろいろのお声を頂戴しました。「見るも聞くも、それをしているのは私という存在。その私が、それが何かを判断している」。アリストテレスが、光りを介して感覚する視覚と空気を介して感覚する聴覚を「魂」(プシュケー)が統合して認識する、と言っていますね。


 「TBS木曜午後7時からの俳句解読番組プレバトで、5、7、5の17文字から映像が浮かぶような俳句を作ることが大事、との解説者・俳人の言葉が印象に残っている」

 芭蕉が奥州平泉の地で詠んだ「夏草や兵どもが夢の跡」を思い浮かべると、兄・頼朝の追討を受け衣川の館で命を絶った源義経らの壮絶な姿が、まさに浮かんできます。小林一茶の句「やせ蛙負けるな一茶これにあり」「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」などは、風景だけでなく一茶の心の中まで透けて見える気がします。


 「中国の諺に目で聞いて、耳で見るを意味する『眼聴耳視(がんちょうじし)』の表現がある。いい絵からはいい音楽が聞こえ、いい音楽からは素晴らしい映像が浮かぶと、という意味だとか」。

 臨済宗中興の祖・白隠禅師の「草取唄」にも「耳で見分けて、目で聞かしやれよ 夫れで聖(ひじり)の身なるぞや」なる一節がありますね。「哲学は(カントの言う)感性・悟性・理性が基本」のご意見もあり、カントは「見る(視覚)は空間的」「聞く(聴覚)は時間的」と言っています。とすると、音楽が聴こえる絵は空間を時間に変換する力があり、映像を浮かばせる音楽は、時間を空間へと変換する力がある、ということになりましょうか。


 キルケゴールによれば、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」は、現実の実体を持たない「誘惑者そのもの」であり、その正体は「誘惑する相手のすべてを活性化する”生の使者“であり、その本質は「エロスである」と示唆しています(テキストpp.64-65)。そして、「究極の美としてのエロスは見えてくるものだ」とするプラトンに対して、キルケゴールは「エロスは、耳で音楽を聴くことによってしかとらえられない」と言っています(同p.65)。

 

 プラトンの対話編『饗宴』では、ソクラテスの取り巻き4人が、ギリシア神話に登場する神エロスについてソクラテスを前にして議論していきます。喜劇作家のアリストパネスが「人間は昔、男・男、男・女、女・女の三種類の球体だったものを、ゼウスがそれぞれ半分に切り分けたために、お互いが相手を求めるようになった。その片割れを求める衝動がエロスである」などと披露するなど、参加者がひと通り語り終えたあと、ソクラテスが、ディオティマなる女性から聞いた話をもとに、「エロスの本質は美への愛」と紹介します。それによれば、人間は「肉体の美への愛」⇒「魂の美への愛」⇒「知の美への愛」を経て、「純粋な美そのもの」「真理そのもの」への愛を求めるようになっていき、「美そのもの」は、あるとき突然「見えてくる」と言うのです。

 

 キルケゴールは、このエロスを「誘惑の根源」であるとし、ドン・ジョヴァンニはこのエロスの力によって、相手を呪縛している価値観から自由にする産婆の役割をしている、と考えるのです。さて、皆さんは「エロスの声」が聴こえますか、それとも見えますか。

 
 
 

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