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3,疎外が生む理性の堕落

 二句:春講座あれもこれもの入道雲 蟻さんよ蜜はいつも今ここに


 フロムは、マルクス関連の記述で、進化論のダーウィン(1809.2.12 – 1882.4.19)が陥ったある状態の説明から入っています。30歳になるまで熱中していた音楽や詩、絵画への興味をダーウィンは進化論の研究を始めてから失い、「操作的思考」の優位の前に、「情緒的生活」面が委縮してしまった(フロム『生きるということ』紀伊國屋書店、p.204)、と言うのです。このような状態を、フロムはマルクスの説く「疎外」にあてはめ、現代の消費社会において、「人々は持つことに熱中するあまり、自分自身を失い、疎外された状態にある」と、「持つ」の主導する社会の問題点に切り込んで行きます。


 「操作的思考」とは、事実のなかから一般法則を生み出そうとする、デジタルの「0」か「1」に還元されるいわば科学的な手法です。これに対して、音楽や詩や絵画は、0と1に還元されないアナログの世界であり、情緒的な生活を主導します。人間の理性(ロゴス=ギリシア語の元の意味は、分ける、比)は、操作的思考が優位になればなるほど、情緒的な理性の側面が委縮していきます。これを、フロムは「理性の堕落」と名づけ(同書p.204)、マルクスの言う「人間が疎外される」ことの原因だと考えたのです。

 

 フロムは、このような人のことを「市場的性格」と名づけ、「なぜ人は生きているのか、なぜ人はあちらの方向ではなくこちらの方向に行くのか、という哲学的、あるいは宗教的な問いには(少なくとも意識的には)ほとんど関心を持たない。彼らは大きな、常に変化する自我を持ってはいるが、誰も、自己(セルフ)、核、アイデンティティの感覚を持たない」(p.202)と断じます。そして、「市場的性格」の持ち主の「主たる目的」は「売ることと交換すること」すなわち市場という「巨大機械(メガ・マシーン)の論理に従って機能することである」と語り(同p.202)、マルクスの次の言葉を引用します(同pp.212-213)  

 

 「或る対象が私たちのものとなるのは、ただ私たちがそれを持つときであり、…それが直接に食べられ、飲まれ、着用され、住まれるなど、要するに何らかの方法で利用されるときである…かくしてすべての肉体的・知的感覚は、これらすべての感覚の純然たる疎外である持つ感覚に取って代わられた」

 

 続いて引用されている、愛や信頼、芸術の重要性を説くマルクスの言葉は、実に味わいのあるものだとは思いませんか(同p.214)。


 「人間が人間であり、彼の世界に対する関係が人間的な関係であるとしよう。その時、愛を引き出しうるのは愛のみであり、信頼を引き出しうるのは信頼のみであり、以下同様である。もし君が芸術を楽しみたければ、君は芸術的な素養のある人物でなければならない。もし君が他人に影響を与えたいと思うなら、君はほんとうに他人を刺激し、励ます力を持った人物でなければならない。もし、君が人を愛しながら、その相手の中に愛を呼び起こさないとすれば、…その時、君の愛は不能であり、一つの不幸である」

 

 さて、時代的に見て皆さんは、マルクスへの何らかの「思い入れ」をお持ちではないでしょうか。まずは、あなたにとって「マルクスとは?」の問いにお答え願いましょうか。

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