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3,モーツァルトとかけて万葉のかなしみと解く

 前回は、原先生から、モーツァルトの音楽には「意表をついたハーモニーや転調」があり、「えっ、どこに行くのだろう」との「驚き」の表現があることをご教示いただき、意表をついた問いによって、相手を思いもかけない方向へと導くソクラテスの問答法を思い浮かべました。今回は、「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」(小林秀雄『モオツァルト・無常という事』新潮文庫,p.13)で始まる、小林秀雄のモーツァルト体験(テキストpp.45-51)を追尾することに致します。

 

 小林が乱脈な放浪時代と言い、道頓堀をうろついていたのは、知り合った中原中也の恋人・長谷川康子を”奪った“形で同棲を始めた22歳のころだと思われます。小林は道頓堀のことを「彼に関する自分の一番痛切な経験」(p.14)と吐露し、頭の中で鳴ったト短調シンフォニーのテエマがどこからか聞こえて来たのではないか、と思い、感動で震えながらその音楽がかけられていると思われる百貨店に駆け込み、音源としてのレコードを聴いたが、「もはや感動は還って来なかった」(p.13)と、奇妙な心象を残しています。

 

 小林は、「いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でも意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬のようにうろついていたのだろう」と続け、義兄のランゲが描いたモーツァルトの未完成の肖像画を見ながら、次のように吐露します。

「二重瞼の大きな眼は何も見てはいない。世界はとうに消えている。ある巨きな悩みがあり、彼の心は、それで一杯になっている。ト短調シンフォニーは、時々こんな顔をしなければならない人物から生まれたものに間違いはない、僕はそう信じた。なんという沢山の悩みが、何という単純極まる形式を発見しているか」「名付け難い災厄や不幸や苦痛の動きが、そのまま同時に、どうしてこんなに正確な単純な美しさを現すことが出来るのだろうか」(pp.14-15)。


 「ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであると僕は思った」(同p.15)と述懐する小林は、フランスの劇作家アンリ・ゲオンが『モーツァルトとの散歩』(高橋英郎訳、白水社)で『弦楽五重奏曲ト短調(k516)』の第一楽章冒頭アレグロを「トリステス・アランテ(tristesse allante)=流れゆく悲しさ」とした表現(同書p.104)を受けて、「自分の感じを一と言で言われたように思い驚いた。確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」との名句を残すのです(『モオツァルト・無常という事』p.45)。

 

 小林はこの「かなしさ」について、万葉歌人の「かなし」のように「かなしい」と付け加えています(pp.45-46)。万葉集(8世紀)では、

「春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつ現しけめやも」(狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 一五巻三七五二)」

 (「春の日が心がなしいのに、あなたに残されて恋い慕いつつ、現(うつつ)ともありません」)のように使われ、「うら悲し」は「心の中でいとしく」感じる「かなしさ」だと言います。

 大伴家持の歌「 うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば」(一九巻四二九二)もあります。


 皆さんは、モーツァルトの音楽から、万葉歌人の「かなし」を感じますか。

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