「ある」と「持つ」の違いを、フロムは「芭蕉」の次の句を使って説明しています。
よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな
芭蕉が43歳のとき、貞享三年(1686年)に詠んだ句です。フロムは、芭蕉は「おそらくいなか道を歩いていて、垣根のそばにあるなずなに気づいてこの句を詠んだ」と鈴木大拙の解説を引用しています(エーリッヒ・フロム『生きるということ』紀伊國屋書店、p.35)。芭蕉は延宝八年(1680年)、37歳のとき深川六間堀の小さな庵(芭蕉庵)での生活を始めており、むしろ次の解説にあるようにこの庵で詠んだ句と思われます。
「春も盛り、桜も散って、いまはすっかり葉桜になった。まわりの木々も新緑におおわれたし、垣根にももえ出た芽がのび、黄緑が鮮やかである。芭蕉は縁側にすわって、なにをするともなく、春ののどかな気分にひたっていた。ふと顔をあげて、芽がのびて来た垣根を見た。そして、その根もとのあたりを見ると白い花のようなものが見える。さらによく見るとナズナであった。……ナズナはナズナなりに、ところをえて咲いている。あらためてこうして見ると、それなりに美しいではないか。それは命あるものの美しさである。芭蕉は生命の美しさ、ふしぎさに驚き、感動したのであった」(斉藤嘉門『奥の細道・芭蕉句集』ジュニア版古典文学13、ポプラ社、pp.75-76)
「万物皆その処を得て自得していることを言おうとする」意図を感じる評もあります(『芭蕉句集』堀信夫ら注解、小学館,p.55)。翌年に芭蕉が書いた「『蓑虫ノ説』跋」には、中国・北宋時代の儒学者・程明道(ていみょうどう、1032-1085)の詩句「万物静カニ観レバ皆自得ス」を引用しており、この句の影響が見て取れる、とも言われます(同)。
(注)『蓑虫ノ説』は、芭蕉庵を訪れた友人の俳人・山口素堂(1642年~1716年)が書いたもので、跋(ばつ)はそれへのあとがきのことです。素堂の句として「目には青葉山ほととぎす初鰹」が知られています。
「春の七草」のひとつとして知られるナズナは、果実が三味線の撥に似ていることから「ペンペングサ」の別名もあります。同じ時期に、「芭蕉開眼」と言われる
古池や蛙飛びこむ水のをと
が読まれています。
フロムは、十九世紀のイギリスの詩人テニスンの
ひび割れた壁に咲く花よ
私はお前を割れ目から摘み取る
私はお前をこのように、根ごと手に取る
…
を比較し、「花を持つことを望んでいる」テニスンに対し、芭蕉は花を摘むことを望まず、ただ「それを『見る』ために目を『こらす』ことだけである」とし、芭蕉は「花と一体化し、花を生かすこと」を望んでいる、と断じています(『生きるということ』pp.35-36)。「持つ」ことは、他者を死なせることであり、「あるがまま」にすることは、他者とともにその命を共有し、自分自身にも「生きる力を与える」と、フロムは考えていることが分かります。
次回は、マルクスによる「理性の堕落」をテーマに展開いたします。
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