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2, 神さまの目的とはー「ハエ取り壺」脱出作戦

 前回わたしたちは、ブーバー風に言えば、「それ」と仮に名付けた「神」について、自由に発言してもらいました。


 「私の田舎の富山では、代々、天神さまの掛け軸を受け継ぐ習慣がありました。天神とは、学問の神として祭り上げられている菅原道真です」「神の話というテーマで思い出すのは、宇宙科学者カール・セーガン原作でジュディー・フォスター主演の映画「コンタクト」です。宇宙船に乗って宇宙空間で死んだはずの父親と出会い、地球に戻ってきたとする主人公の体験が、その宇宙船は爆発して宇宙には行っていなかった、という不思議な物語です」


 「学生のころのことですが、友人と3人で網走の駅から目の前の広場を横切って200mほどのところにあるユースホステルに向かうことになった。ところが、もの凄い雪で一寸先も見えない。すぐそこだと思って歩き始めたが一向につかず、駅にも戻れず、こんなところで遭難するのか、と不安になり、それこそほんとうに「神さまお助けを」の気持ちになった」「ボランティアでネパールの子どもたちに日本語を教えていたとき、シヴァ神やヴィシュヌ神の描かれた本を見せてくれたことを思い出しました」「富山県の私の家の近くにある墓には、鳥居が立っているものがあり、いまだに印象に残っています」

 皆さんのお話には、ブーバーの言う、「わたしだけに現われた存在」としての「汝」体験はありませんでしたが、「神」の言葉から連想される「もの」や「こと」が語られました。神なる絶対者の存在を意識して、有名な言葉「語り得ないことについては、沈黙しなければならない」を残したウイットゲンシュタインにすれば、闊達に神論議を重ねる私たちの話を聞いて、さぞかし顔をしかめるでしょうね。


 さて、「ウイットゲンシュタインのハエ取り壺」で知られる「ハエ取り壺」は、ご存じのようにいったん入り込むと出てこれない罠のことです。私たちが「語り得ないこと」すなわち「それ=神」の問題に入り込むと、一種の迷路のように、「それ」が何かを指し示すこともできないし、言葉で説明することもできず、ひたすらさ迷い歩くだけの状態に陥る、ということを暗示した言葉です。実際、皆さんのお話から共通する因子を取り出して、「ほら、これが神だ」と示すことはできそうもありません。


 古代ギリシアの哲学者たちは、何かが存在するなら、始まりがあり(始動因)、形があり(形相因)、中身がある(質料因)、と考えました。アリストテレスはそれに加えて、「理由がある」(目的因)を付け加えました。もし神なるものが存在するのであれば、「何のために」存在しているのでしょうか。お一人の言葉「不安が神をわたしたちの心に生じさせる」ならば、神の存在は私たちから不安を取り除くために求められる、となるでしょう。


 雪によって方向を見失った方なら、それこそ「いのちを救うもの」として求められますね。何のために神は存在しているのか、自由な論議を続けて、「ハエ取り壺」からの脱出を試みましょう。

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