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10、ファイナルアンサー

 前回、「もう一人の私」にあげている心の無限後退について、お一人から、人間はいずれ死を迎える有限な存在だから、無限になることはあり得ない、とのご指摘をいただきました。また、お一人からは見る位置によって物事は多彩な顔を見せることを示す格言「虫の眼、鳥の眼、魚の眼」を頂戴し、考える前に感情があるのではないか、とのご示唆もいただきました。


 この「考える前に感情があるのでは」との示唆に対して、『存在と時間』で「気分」と翻訳されているStimmungの概念を紹介します(ハイデガー『存在と時間』中巻、桑木務訳、岩波文庫、pp.21-30)。情調、感じ、印象といった感覚的な意味合いを持った言葉です。ハイデガーによれば、怒っている、喜んでいる、などの「心の状態」=気分は、私たちの「話しぶり」に音の抑揚や、テンポとなって表れる、といいます(同書p.74)。そして、不安の気分が「私たちはいずれ死んで無となる」との現実を知らしめ、不安は恐れという気分へと変わっていく、といいます(同書p.260)。


 私たちは、多くを持つことが幸せにつながるという大衆消費社会の「美学」が挫折し、「持つ」ことよりも「生き方=存在(ある)の仕方」を求めるべきである、とするフロムの『生きるということーTo have or To be?』(紀伊國屋書店、2020年9月)を導入行として、「持つ」と「ある」の関係について探求してきました。


 私は、テキスト「『持つ』の形而上学-フロム、芭蕉、アリストテレス、ハイデガー、レヴィナスをつなぐ点と線」(『聖徳大学言語文化研究所 論叢』10)において、座標転換によって、「ある」は「持つ」に還元される、との論を展開しましたが、存在そのものは、「持つ」に転換できそうもなく、皆さまからのご指摘やご意見を通じて、ハイデガー存在論の懐に投げ込まれた気がいたします。


 ハイデガーによれば私たち人間は、自らを気遣う「今、ここ、存在」としてのDaseinと同時に、自然や宇宙までも含めた万有の世界ともつながって存在している「世界内存在」(世にあること)として、世界そのものを気遣う二重性を持っています。「世にある」の「に」は、「中に」の意味ではなく、「中に溶け込む」ことだ、という興味深い考えをハイデガーは示しています(『存在と時間』上巻、p.107)。


 「世界の中に溶け込む」状態とは、無我の境地による自然との一体感を示唆する禅の精神に通じます。『存在と時間』が書かれた1927年の前後、ドイツに留学していた九鬼周造とハイデガーは交流がありました。九鬼はハイデガーの影響を受けて「『いき』の構造」を書きましたが、逆に『存在と時間』の「無の観念」に、九鬼からの影響があったのでは、と考えるのも楽しいですね。


 英語のthinkと日本語の「考える」や「思う」「想う」の違いについての問いが寄せられ、「考える」は論理的・理性的な思考、これに対して「思う」は感情や直観に基づく判断などを主とし、英語の「think」は、「考える」と「思う」の合わさったようなもの、などと、チャットGPTくんは解説してくれています。また「考える主体としての心はどこにあるのか」の問いも出されました。

 
 
 

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