top of page

1, ドン・ジョヴァンニとは何者なのか

 スペインの伝説上の人物で、数多くの女性を誘惑しては捨てる好色放蕩な「猟色家・女たらし」の代名詞になっている「ドン・ファン」(スペイン語)、フランス語では「ドン・ジュアン」そして、イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―この男を主人公としたモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の主人公は、「エロス」を内在した「一つのソクラテス」である、が、皆さんにお渡ししたテキストでの結論です。

 

 2012年4月に新国立劇場で行われたエンリケ・マッツォーラ指揮・東京フィルハーモニー管弦楽団演奏のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』において、演出にあたったグリシャ・アサガロフは、ドン・ジョヴァンニなる人間の存在について、「デモーニッシュな面を持ちながら、エレガントな物腰と人間的な魅力にも事欠かない」多面性を持つ人間と描いています。

 音楽ジャーナリストリストの石戸谷結子が

『ドン・ジョヴァンニ』歌手の系譜とドン・ジョヴァンニ像の変遷

で描き出しているドン・ジョヴァンニは、まさに多面的、多彩です(新国立劇場『ドン・ジョヴァンニ』パンフレット、2011-2012。pp.32-33)。

「長身にしてハンサム、堂々とした威厳のある振る舞いと立派な声で女性たちを魅了」(50-60年ほど前のドン・ジョヴァンニ)

 「威圧的な放蕩貴族で、過去の栄光を保ちつつも、黄昏つつある」(1950-60年代)

 「ゆったりした色男としての優雅」「悪人の顔を貴族の衣装に隠した、二重人格者」(80年代後半)

 「昼と夜でジキルとハイドの両面を見せる複雑な」「憂鬱症の哲学者のような」(90年代)

 「うろうろしているだけの哀しい、貴族の称号は剝奪され、道徳観のない放蕩児のイメージ」「時代に合わないアウトサイダー的なキャラクター」(~以後)

 オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のなかに、これほど多種・多様なドン・ジョヴァンニが存在していたとは、モーツァルト自身が目を丸くしてしまうのではないでしょうか。

 

 オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の台本作者ロレンツォ・ダ・ポンテ1749年3月10日 - 1838年8月17日)は、イタリアの詩人で洗礼を受け聖職者でしたが、放蕩な生活で追放され、ウイーンに移り住みました。そこで、サリエリの口利きにより詩人としてヨーゼフ2世の宮廷に召し抱えられ、モーツァルトの三大オペラ『フィガロの結婚』『コシ・ファン・トゥッテ』そして『ドン・ジョヴァンニ』の台本を手がけることになります。


 まるでダ・ポンテ本人を思わせるような放蕩男ドン・ジョヴァンニが、いったいどうソクラテスとつながっていくのでしょうか。スエーデンの哲学者キルケゴールの言葉「ドン・ジョヴァンニは一つの生であり、そして他者の生の原理である」(テキストp.47、キルケゴール著作集1、白水社、「あれか、これか」第一部上、p.194)を手がかりに、オペラそのものも、ご覧いただきながら講座を進めて参ります。

(注 「あれか、これか」原文のLivは、「生活」や「人生」と訳されていますが、私は「生きるということそのもの」と解釈し、「生」としています)。

 
 
 

最新記事

すべて表示
10、「なる」の哲学:ソクラテス型人間の時代の終わり?

「即今当処自己」( 禅の言葉「今、この場所で、自分自身が、できることを精一杯やる」)「私はネットワークではないか」「夢の中の世界こそ、釈迦の言う空ではないか」など、前回も刺激的な声をたくさん頂戴しました。ありがとうございます。  ...

 
 
 
9, 演算子:「無」それとも「空」

前回は、「ロックンロールのロックは前後に揺れる、ゆする、ロールは、転がる、の意味。アフリカの黒人が持ち込んだダンスを伴う歌唱を、白人のエルビスプレスリーが歌ったことで当初は白人たちから大ブーイングが起きた」「グループでロックを歌ったのは、ビートルズが最初」、都知事選に立候補...

 
 
 
8, ロックだよ!演算子としての「私」

本日は、前回の講座の後のくつろぎランチタイムで頂戴した朝日新聞の記事「ロックじゃねえ!―僕の生き方の基準 ブレぬ強い「腹」 ゼロで無で空だよ」(2024.6.8、声×インタビュー、俳優 松重豊さん)から入ることにいたします。「ロックじゃねえ!」とは、ある小学校の先生が、ウソ...

 
 
 

コメント


bottom of page