2, 退屈かね ハイデガーくん
新しいお仲間を加えて、私たち座談の凄い盛り上がり!『歩くという哲学』(フレデリック・グロ、山と渓谷社)『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン、村上春樹訳、あすなろ書房)『しろいうさぎとくろいうさぎ』(ガース・ウイリアムズ、ラボ教育センター)『はじめてのベルクソンー 時間をひらく哲学』(平井靖史、講談社現代新書)『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ、NHK出版)など、啓発的なたくさんの本と数々のお言葉を頂戴しました。
「今ってないんじゃないの」。逆に「今しかない」「無限の時間があった子供時代に比べ、年を取るにつれどんどん時間が短くなる」「青葉城恋唄に、時は巡りまた夏が来て…とある部分に、時は巡らず過ぎていくだけじゃないの、とクレームがつき、時を季節と書いて“とき”と読ませるようにした、とか」青葉城恋唄 宴 八代亜紀「中島みゆきの歌『時代』にある、時代はまわる、を思い出します」(15) 時代 - 中島みゆき(フル) - YouTube。太陽系誕生の「タイムカプセル」とされる「木星トロヤ群小惑星」を目指す探査機「ルーシー(Lucy)」にビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』の歌詞とメッセージが積まれている話も紹介されました。
「退屈だなあ。何かやることはないかな」といった形で使われる「退屈」ですが、字義の「退」(しりぞく、後戻りする)「屈」(かがむ、屈する)から、「修行の厳しさや、悟りの世界の広大深遠さに圧倒され、気力を失って退いてしまう」ことを意味する仏教由来の言葉なのです。それが「難題にぶつかり、へこたれる」(中世・『太平記』の時代など)となり、やがて「物事に飽き飽きしてうんざりする」、そして「暇をもてあます」となっていった、というのです。退屈 | 仏教語豆事典 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
江戸時代の落語https://www.youtube.com/watch?v=1yM5OmTENME&t=54s、『あくび指南』では、同行の友人があきれて「退屈で退屈で……」と大あくび。親の仕送りでのらりくらりと暮らす主人公が、退屈になれば親の元に出かけていく、といった表現が夏目漱石の『それから』(1909年)にあり、芥川龍之介の短編『蜜柑』(1919年)には、汽車の中で田舎の小娘が見送りの弟たちに蜜柑を投げ落とすのを見た主人公が「私はこの時始めて、…退屈な人生を忘れる事が出来た」など、「退屈」の意味は変容してゆきます。
「長い(lange)時間・間(Weile)」を意味するドイツ語の「退屈」"Langeweile"(ランゲヴァイラ)について、ハイデガーは「退屈な人」「退屈な場所」「退屈な催し」など、何かの「もの」や「こと」によって「退屈」は生まれるとし、「気晴らし」や「暇つぶし」はその時間を忘れるための手段であると考えました(『形而上学の根本諸概念』東京大学出版会、川原栄峰他訳、pp.129-278)。『あくび指南』の見物人のあくびは、あくびの指南が退屈を生み、『それから』や『蜜柑』の主人公は、生きることそのものがもたらす「退屈」ですね。
ハイデガーは、「もの」や「こと」があろうがなかろうが、「気晴らし」や「暇つぶし」をしても消えない「深い退屈」なる状態があることに気づきます(同pp.221-278)。そして、この「深い退屈状態」が「世界とは何か」「私とは何か」の問いを生み出し(同p.251~)、やがてあの有名な『存在と時間』誕生へとつながっていくことになるのです。
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